Archive for the ‘雑感’ Category

何が楽しくて落語を聴きにいっているのか

2009年11月23日

id:yotaro-3さんが、「ありがとう(もうじき)10万アクセス~落語の何が楽しいのか」ということで、何が楽しくて落語を見に行っているのかということを書いています。yotaro-3さんの場合、落語の楽しさの要素を「5W1H」に分けて説明していて非常に興味深いんですが、この記事のフォーマットに習ってわたしも書いてみたいと思います。何だか、このブログをやっている理由というか、言い訳というか、そういう感じになってしまいましたが。(笑)

■Who(誰が)

私の場合、演者がお目当てで高座を聴きに行くことも、もちろんあります。けれど特に贔屓にしていて、熱心に追っかけているという藝人さんは他の人より少ないのじゃないかなあ。自分の場合、雲助師、白酒師ぐらいなもので、それらの師匠にしても、自分の家から遠いところ、例えばにぎわい座であるとか、千葉の方とか、埼玉の方とかで開かれる会には二の足を踏んでしまい、そういうときに限って、聴きたかった演目がかかることが多いですね。さん喬師、権太楼師、喬太郎師、市馬師とか好きな噺家さんもいるけれど、一週間に一回は必ずとか、連チャンでとか、しない。そんなに聴いたら、飽きてしまうという恐れが自分のなかであるのと、これらの師匠の高座を聴く有難みが無くなるのじゃないかという気持ちもある。一ヶ月に一回、自分的に一番いいのは、春夏秋冬、季節ごとに1回聴くのが、ベストだと思ってます。その点でいうと、さん喬師の「さん喬独演会」はほぼ季節ごとに1回開かれていて、これさえ聴けばさん喬師については満足できるのではないでしょうか。

それと未体験の噺家さん、聴いたことのない噺家さんの落語会にもなるべく行くようにしたいと思っています。その理由はあとで書きますが、いまは寄席定席だけではなくて、それぞれのブログやホームページを読むことが出来ますので人柄、個性もわかりますから、興味を持つことが出来たなら行くようにしています。もっともやっぱり会に行く優先順位は好きな噺家さん、贔屓にしている噺家さんとは下がるので、そこのところは如何ともしがたいですが。

■When(いつ)

よくこれで5日連続で落語会に行った、とかいう話を聞ききますが、さすがにこれは出来ないなあ。経済的な問題で実現不可能なのと、そんなことでは翌日に差し障りが出てきてしまいます。私の基本的なパターンは週に2回、平日に1回と週末のどれかに1回。連休は別にして、週末でも連日、寄席、落語会に行くことはよっぽどいい噺家、いい演目でない限り、まず無いですね。これはこれ以上増やすと、聴いた高座の感想がブログにアップするのが遅くなるから。わたしは聴きに行った高座の感想は、間髪を入れずにブログにアップするのを信条としているからです。これ以上、行ったら仕事(今は勉強)のほかは全て落語になってしまいますし、そうでなければ、その時と聴きに行った高座のタイムラグがどんどん拡がってしまいます。またほんとうなら週のうち、1回は寄席、もう1回は落語会にしたいのだけれど、なかなか出来なくて、寄席に行くことが出来ていないのは大いに反省する点。もっと寄席に行かなければなりませんね。

それと、その当日にフラッと落語会や寄席に行くことももちろんあります。まえは3ヶ月も先の落語会のチケットを買っていたこともありますが、本当によっぽどのないかがりそういうことは無くなりました。そんな先のことはわからないし、他に行きたい会や寄席に当たるかも知れない。売り切れてなければ直前になって買うか、当日券を買う。それでダメならそれまでのこと、縁が無かったと諦める、そういう潔さも「落語を楽しむ」には必要、大切なのかもしれません。こんなところがまさに「一期一会」たる落語の所以なのでしょう。

余談ですが、チケット代というのも落語会に行くか行かないの大きな要素です。わたしの場合、

4000円以上~無限大→好きな噺家さんでも絶対行かない。というか行けない。

3000円~4000円→好きな噺家さんが出ていても大いに悩む。

2500円~3000円→好きな噺家さんで財布に余裕があれば。

2000円~2500円→好きな噺家さんだったら必ずいく。知らない噺家さんだったら悩む

1000円~2000円→好きな噺家さんだったら何をおいても行く。知らない噺家さんでも演目が良ければ行く。

1000円以下(無料)→好きな噺家さんだったら会場が遠くても行く。知らない噺家さんだったら近場であれば行く。

ちなみに寄席定席は、ユーラン社で売っている招待券や割引制度を有効に使って行っています。

■Where(どこで)

自分の場合、好き嫌いは余りないです。強いて言うなら、「演芸場」と名乗っているのに冷たい感じがする鈴本や、最寄りの駅からちょっと遠い国立演芸場でしょうか。でもここで開かれる会には絶対行かない、ということではありません。実際に何度行っているし、例えて言うなら行く度にスーツを着ていかなければならないところ、といったところでしょうか。むしろ、寄席や落語会は登場する藝人さんはもちろんだけれど、客の雰囲気や演目に影響されるものだと思っているので、よっぽどのことがないかぎり、会場に不満を持ったことはありません。逆に浅草見番なんて、最寄りの地下鉄浅草駅から10分ほど歩くけど、そこに行くまで、雷門をくぐり、浅草寺を通り、花やしき周辺のディープな場所を歩いてたどり着くので、高座を聴く前にすっかり気分は落語モードになっていますね。こういう場所が、あえていえば好きです。

会場で座る場所については以前も書いたことがありますけれど、芸人が出てくるのが見えて側の前方の席、最前列から2番目か3番目がベストですか。鈴本、末廣亭だったら下手、池袋だったら中央の通路から右側、やや上手側ですか。自分には何が何でも前列でという気持ちは全くなくて、むしろ後ろの席で高座を観ると、前方で観る高座とはまた違うものが見えてくる場合があります。たとえば「蒟蒻問答」とか「船徳」「不動坊」「七段目」などの仕草の大きな演目はそうです。

■What(何を)

多くいる落語ファンの中で少数派なのかもしれませんが、わたしの場合、たとえそれまで聴いたことのない噺家さん、贔屓にしていない噺家さんでも、好きな演目、興味のある演目であれば、見に行くことがあります。「らくだ」「百年目」「鰍沢」そして一連の圓朝もの、など。この噺家さんなら、この噺をどういう風に料理するのだろうとか。あと重箱の隅を突くようですけれど、噺のディテールをどういう風に描いているか、というの自分にとっては大切な要素。例えば、落語というと江戸時代のもの、と思われがちですが、実際はそうでもなくて明治、大正、昭和の初めなんてものも案外多い。「付き馬」とか「徳ちゃん」「お見立て」なんてそうですよね。そういう噺のなかで、それぞれの演者がどんな風に当時の風俗を表現するのか、に注目しています。

またネタだししていない会の楽しみというのは、会に行くまでのワクワク感と自分が予想していた演目を噺家さんがやってくれたときのヤッター感でしょうか。会の開かれる季節と、これまで噺家さんがやっていた演目と、二人会、三人会なら他の噺家さんの個性や得意な演目を考えて予想します。これまでに何度も聴いた演目や直前にやった演目と被れば、悔しいですが、たとえ予想が外れても、この噺家さんにこの噺?というな以外な噺を聴けることがあって、これはこれで嬉しく楽しいものです。

■Why(なぜ)

なぜ落語を聴きに行くのか。これを説明するのは一番難しい。「そこに山があるから」ならぬ「そこに寄席があるから」ということになるでしょうか(笑)。

でも意外に真実はそこにあるのではないかと思います。他の芸能、芝居や音楽会のように高いチケットを買って、着ていく洋服を決めて、いそいそ出かけていくのもいいでしょうが、何より寄席に行くのはフラっと行けるのがいい。これまで他の人が何度も言われていることですがね。それとわたしの場合、大爆笑してスカッとする、もちろんこういう時もあるけれど、それより所謂名演というものを聴いた時には、噺の内容と自分の今の状況とか過去の経験とか同期して、何ともいえない癒しを自分自身に与えてくれることもある。こういうことを期待して寄席や落語会に行く、という理由の方が強いかな。ネタ出しをしている会というのは、そういうものを事前から期待して行くこともあるけれど、ネタだししていない会、寄席でそういう高座に出会えた時の気持ちは表現できない。

人は誰でも嬉しいこと、楽しいことはもちろん、特に悲しいこと、寂しいことなど、ネガティブなことを誰かと共有したくなるものだと思います。具体的に言えばそういうことを家族、友人に話すことになるのでしょうが、落語を聴いて噺の内容が自分の経験や境遇、状況と同期すると、彼らに自分の気持ちに話して、理解して貰えることかどうかはわからないけれど、少なくとも話は聴いて貰えた、という安心感は生まれる、まさにそれと同じようなことが、わたしの場合は滅多にないこと、1年に1回あるかないかでしょうか、おこるような気がします。

■HOW(どのようにして)

このブログを読んで下さっている方はご存じだと思いますが、わたしは高座一つ一つの筋を追うようなことはしていません。それはあくまで自分の聴いた高座を自分の言葉で表現したいからです。そしてそれが自分自身にとって「文章を書く」ということの修業になるから、とも思っています。また同時に「落語の楽しみ」なのかもしれません。だから書いた文章に読んで下さった方からの温かいコメントを戴くとほんとうに嬉しくなるし、稚拙な文章で聴いた高座の素晴らしさが伝えることが出来たかな、と思うとこれ以上の喜びはないですね。落語ファン、それぞれにはそれぞれの楽しみ方があり、おそらく落語ブログを持っている人たちは、その楽しみを他の人たちにどう伝えようかと、記事を書くたびに思い悩んでいるに違いないと思います。わたしには今のこのやり方が一番あっているような気がします。

わたしにとっては、「落語家」が好き、というより「落語を聴くこと」が好きといったほうがいいかも知れません。何度もこれも書いていますが、贔屓にしている噺家さんも好きな噺家います。でも第一は「落語を聴くこと」が好きなんですね。真打、二つ目、前座、女流、上手、名人、下手、有名、無名は関係ないのです。藝の違い、序列香番の違いは関係ない。それぞれの個性がちゃんと表現出来てさえいればいいのです。噺家さんに好き嫌いは殆どありませんが、なるべくなら遠慮したいという人はいます。たとえば、師匠の藝が全てだと思いこんで、まるで師匠のクローンのような高座をする噺家さん。それと、こういう人は滅多にいませんが、客や贔屓筋に対して腰が低くない、高慢な噺家さん。こういう人は遠慮したいです。

こういう噺家さんの会には行くことはありませんが、たとい寄席の高座で当たってもこのブログでは感想を書くことをないでしょう。以前はこういう噺家さんに対しても否定的な感想を書いていましたが、ある時点から止めました。それまではそういうことを書いても、当の噺家さんが読めば少しは気にもしてくれるかなとも思いましたが、結局は否定的な感想というのは自分が書きたくないもので、それは自分の「落語の楽しみ」と反すると気がついたのです。それからは、贔屓にしている噺家さん、好きな噺家さんでもちょっと気になった時は書きますが、「いやぁ、これはダメだなあ」と思った高座は書きません。彼らだって人の子、調子のいい時、わるい時がある。ダメなこともあえて書きます、という人もいるでしょうが、以前は自分もそうでしたが、今では自分の「落語の楽しみ」が第一です。それに嫌なことを書くことはわたしも嫌だし、それを読む人も嫌なことだと思いますし。

■おまけ

以前、落語評論を書くことを生業としている人から言われたことがあります。

「落語に関して何かモノを書くためには、自分の好きなモノだけではなくて色々な高座を観た方がいいよ。その方が自分の肥やしになる」

これはいい言葉です。落語って人気者や名人上手だけで成り立っているわけではない。巧い、下手、有名、無名が入り混じっているからこそ、落語という世界が成り立っているということ。もし落語の基準が、噺が下手、名前が知られていない、というだけで切り捨てられていくのでは現実世界と同じじゃないですか。まだ私の知らない、どんな噺家さんがいるのだろう、どんな噺をどんな風に演じてくれるのか、ということが、今のわたしの「落語の楽しみ」であり「何が楽しくて落語を聴くのか」という理由であり、そのために足繁く寄席や落語会に通っているのです。

「白鳥麗子」に美人はいない

2009年11月3日

わたしの下の名前は何処にでもある、ありふれた名前だけれど、それでも「で、その『し』はどう書くんですか?」と訊かれることがある。そのたびに「そのひと文字で、そう読むんです」と答える。

自分の名前にこれまで不満など持ったことないし、これからも不満など何もないのだが、役所とか銀行とかに行くと、必ず念を押されるのがいささか不愉快ではある。ちなみに、わたしの姓の方も、シャチハタにあるぐらいなのだが、以前はまちがって呼ばれたり、濁音で呼ばれたりして、これは大いに不快だった。

わたしの名前は、もう亡くなって大分経つ母方の祖父祖母が付けてくれた。やすらかに育つようにと付けてくれたひと文字ではあるが、おそらく、わたしたち昭和30年代後半生まれの世代から、ひと文字の名前が多くなったのではないだろうか。それまでは漢字二文字あるいは三文字を組み合わせて名前を付けるのが主流であり、それ以前、昭和一桁世代、わたしの父親の世代は、単純に漢数字と漢字の組み合わせだったように思う。ちなみに男二人、女一人の兄姉のもと、一番下に生まれた父親の名前は「三平」、長兄は「一雄」、次兄は「二郎」だった。これでは三平というなまえが、単に番号のようでまるで「〓3」とと呼ばれているような感じも、今の時代から思えばする。

女子のことはわからないけれど、すくなくともキリスト教圏では、デビッドとかマイケルとかジョンとかポールとかジョージとかリンゴ(笑)とか、聖人にちなんだ名前を付けることがほとんどだろう。親が聖人の由来に因んで、子供にその思いを込めて名付けるだが、これはキリスト教圏以外でも、例えばケルトやイスラームでも、それぞれの出目に因んだ名前が付けられることは多い。変わったところでは、NBAのレイカース、コービー・ブライアント選手のコービーが神戸に由来しているのは有名である。

なまえで引っ張るようで、申し訳ない。スティーブン・キングの小説「デッドゾーン」はある平凡な男が交通事故にあったことで、とてつもない予知能力を手に入れてしまったことで、破滅の道を歩んでいく話だが、この物語の主人公の名前は、ジョン・スミス。日本でいえば山田太郎か、鈴木一郎か。もっとも「鈴木一郎」は世界で一番有名な日本人の名前であろう。この主人公は、自身に思いがけない力が備わったことで苦悩するのだが、逆に有名な名前が自分に備わったとすると、ひとは苦悩することがあるのだろうか?

そう、ここから本題。円楽師の死去で、長年くすぶってきた「円生」襲名問題が表面化してきた。長い間、円楽党の中では公然といわれてきたことであり、継ぎたいと公言しているご本人は、かなり前から「円生への道」と題した落語会を催しているのだから、やる気満々なのだろう。落語ファンでもあまり興味のないわたしなぞは、「やりたければやれば」的な立場なのだが、世の中そうは簡単に行かないらしい。賛成・反対喧々囂々で決着が付くには時間が掛かるに違いない。個人的にはそんなことで自身の落語家としての大切な日々を無駄にするのは、いかがなものか、と思うのだが、ご本人は襲名することで噺家として完成すると思っている節がどうもある。彼だけではなく、彼を取り巻く人々、ファンも含めてそう思っている節がある。わたしなんかは、名前が藝をつくるなんてことは、思いもしないのだが。

たとえば、大名跡ではないにせよ、二つ目から真打に昇進して伸び悩んでいる噺家たちの何人かは、真打昇進の際に改名したひとのように思える。二つ目の時の名前は、十二分にそのひとの芸風とか人柄を表していたのに、真打ち昇進で改名したら、そういった雰囲気のようなものが失われてしまって、高座の上でもどこか落ち着かない芸風があることがままある。逆に昇太師のように、明らかに前座さんの名前、二つ目さんの名前なのに、高座の上の芸風とぴったり会っている場合もある。まあ、こんなことはまさに希有な例で、大名跡といわれる名前を継いだ人ほど、周囲、主にファンの間からだろうが、どうのこうのいわれて、かわいそうだ、と思うことも多い。人柄と芸風と名前が、一致することはそう簡単にあることじゃない。

逆に噺家の周辺やファンから、この人に是非この名前を、と全員一致で押される場合もある。例えば「志ん生」という名前。「志ん朝」はまだ早いにしても、志ん生は一昨年あたりから「是非あの人に」と散々言われ続けている。当のベテラン真打は「強く、強く」固辞したということだが、本人は何十年もこの名前でやってきたわけだし愛着もあるだろう。それに自身の持ち味と名人「志ん生」のそれが違うのも十分すぎるほど知っているのだ。また噂だが、真打昇進時に襲名を勧められたという別の若手真打も強く固辞したという。そのひとの今の名前は、彼の個性をよく表す唯一の名前だと思うし、今更ながら、「ああ、そのとき大名跡を継がなくて本当に良かったな-」とつくづく思う。噺家を取り巻く人たちというのは、ファンも含めて、自分のなかで描いている噺家の理想を実現させたいと思っているひとたちが多いのか。ついでに書かせてもらうと、円楽師が亡くなった同じ日、立川文都師が亡くなったけれども、その日に、十分にその霊が静まってからという断りはあったけれども、上方落語の名跡である「文都」という名前を上方に返してくれ、という上方落語ファンの声があったのには、驚いた。何しろ、文都師が亡くなった当日である。それを聞くと、先日の立川談奈さんの思いを知るまでは、文都師のことを知らなかったわたしでさえ、「不動坊」ではないが「四十九日も過ぎぬのに~」と恨み節も言ってみたくなる。

噺家の襲名といえば、雲助一門は、それぞれ別々の名前を名乗っている。以前に存在した名前であったけれど、すっかり忘れられた名前。桃月庵白酒。隅田川馬石。それぞれの人柄と芸風と名前が一致した、それこそ希有な例だ。もっとも雲助師も「五街道雲助」という名を先代金原亭馬生師からもらっている。そもそも馬生師からして、噺家の個性を一番に考えていたひとだったのか。そうそう、雲助一門の二つ目、弥助さんも、これは、という名前を真打昇進時に考えているらしい。そのあまりのユニークさに師匠が「ほんとにそれでいいのか」と言ったそうだ。いまから、楽しみではある。

「白鳥麗子」に美人はいない、というのが、わたしの考え。たとえば100人の「白鳥麗子」という名前の女性がいるとして、美人で性格もいいという人は100人に1人、いるかいないか、ということ。理想と現実、周囲の思惑と本人の意志がピッタリあうことなんて、そうそうあることではない。

円楽師のこと

2009年10月31日

世の中には、ちゃんと観も聴きもしないで物事を判断してしまう人間がいる。得てして、わたし自身も含めて大抵の人たちにそういう傾向があるものだから、困ったものなのである。特にマスコミやこういったブログでの世間の評判を知ったうえで、まるで自説のごとく物事の価値とか評価を決めてしまう。

昨日亡くなった、三遊亭円楽師のことを考えてみる。

円楽師は、ご存じのように円楽党の総帥。当代では桂歌丸師とともにテレビで名を売った噺家である。わたし自身も、「笑点」で豪快な笑い声で司会を勧めていく姿はハッキリと覚えているが、高座の上での姿はまったく記憶にない。もともと談志、志ん朝、五代目柳朝とともに60年代から70年代にかけて「四天王」と呼ばれた落語界の「星の王子様」、まさにプリンスでだったそう。恥ずかしい話だが、談志、志ん朝はもちろん生でその頃の高座を聴いたことはなかったし、五代目柳朝も意識して落語を聴くようになってから、顔とあの江戸前な口調が一致するようになったぐらい。逆に円楽師は落語以外のところで、いつも目にしていたような気がする。

そんな円楽師の噺を、今年の初めだったろうか、はじめて聴いた。もちろん映像であり、NHKBSで放送した、おそらく40代か50代のころの「豊志賀の死」だった。それは、昭和の名人円生の直弟子という印象とはかなり違って、がちがちの古典落語の世界を繰り広げる、というより、その当時に受けるクスグリを入れたりして、他の四天王の噺家とくらべても、ポップでモダンな師の高座。「意外にカッコイイ」という印象があった。

もし、円生師による「落語協会脱退」という騒動がなかったら、いまの落語協会のなかで、三遊亭の位置をもっとあげていただろうし、円丈師と競い合って志ん生、小さんと並ぶ「昭和の名人」円生の流れを明確なものにしていたにちがいない。とはいえ、師匠の意に沿って付いて行った「脱退騒動」の件を今更行っても仕方がないし、その後の落語三遊協会~円楽党の活動を云々しても今更何も成りはしない。

そして「円楽党」といって、今の大多数の落語ファンが、家元や小三治師の落語家に詰めかけるように、注目しているか、といえば話は別。もちろん、熱心で熱狂的なファンもいることは知っているが、かなり幅広く数多くの噺家の高座を観ているファンでさえ、「今の円楽党に注目すべき噺家はいるのか」というキツイ疑問がわき起こってくることは確かだ。三遊亭兼好師は精力的な活動をしているものの、いわゆる「定席」の小屋を持たないこと、二つ目七年目での真打ち昇進とか、立川流のように家元のもとに一門を統率する噺家が登場して「ホール落語」に活路を見いだす、ということが出来ないこと、こういった幾つもの弱点がこの一門に存在することは確かだ。

しかし、そのような外野から観た評価より、円楽党に属する噺家の高座そのものにどれだけわたしたちが接しているのか、という自戒の気持ちが、円楽師の逝去に際して思っている正直な気持ちだ。師匠の死で、こんなことを思うことは実に不謹慎かもしれないけれど、東京に存在する協会・流派のなかで、ただ唯一、流れに遅れそうになっている一派といわれても仕方がない状況ではある。以前、ある四派連合の落語会で円楽党のある二つ目さんが自虐的にマクラで「わたしたちはインディーズですから」と言っていたのだけれど、噺の内容より、噺家・演者中心、至上主義の今の落語を取り巻く状況のなかでは、不運というか不利な条件がこれからも続くことは、まず頭に浮かんでくる。

そんな環境のなかで、わたしたちが彼らを応援することの出来る唯一の手立ては、id:yotaro_3さんがご自身のブログで述べていた以下のことだろう。基本中の基本といえることだが、意外にDVD・CD落語が全盛の今では、忘れかけている貴重な考えであることは間違いない。

生きている噺家は一生懸命落語を話すしかないし、生きている客はその高座を見に行くしかない。本当に落語が生きているのは、高座のざぶとんの上だけなのだから。

三遊亭円楽、立川文都 – yotaro-3の日記

円楽のプレイボーイ講座12章 (紙ジャケット)

円楽のプレイボーイ講座12章 (紙ジャケット)

「アンチ」と「ファン」~小三治師についてのちょっとしたこと

2009年10月7日

台風がやってくるというので、とにかく早く帰ろうと、飯田橋の駅へ向かい、総武線から四ツ谷で運良く中央・青梅線直通青梅行きに乗ってまっすぐ帰って来られたものの、なんで四時半に訓練校をでて家に着くのが7時前になるのかと、もう諦めきっている身体で部屋のドアを開けて、マックに電源を入れると、なんとシステムがディスクを認識せず、この愛用の初代iMacは使い始めて、わたしの無理なお願いも聞いてくれてきたはずなのに、ここにきて流石にあたまに来たのかと思いきや、インストールCDを挿入しディスクユーティリティで何度かチェックをしたら、秋の空と何とやらでわたしの言うことを聞いてくれたようで、ちゃんシステムがディスクを認識してくれたようで、とりあえず一安心。

閑話休題。

わたしもよく知っているブログで、「小三治ってそんなにいいか?」という話題があった。別にブログを特定してもいいんだけれど、ま、熱心なファンがいることだし、そんなことをするファンは小三治師のファンには当然いないと思うけれど、念のため、ここでは匿名にしておきます。

で、そのブログ主が言いたいことは、「別に、小三治がつまらないとか、聴く価値がない」ということではなくて(もちろんそういう意見もあってもいいが)同じぐらいに人気があってもいい、という噺家が他にも5人はいる。なのに、小三治師の異常な人気は、若い頃からメディアに出ていたということを考慮に入れても、今の人気は「過剰評価」だ、という。つまり、ここでブログ主が言いたいのは、いわゆるファンの評価が「過大」ではなく「過剰」だということ。この人だけに人気が集中し、他の人は無視されているのはいかがなものか、ということだだそうだ。

ここで、わたしがふと思ったのは、小三治師には明確なファンに対する、明確なアンチがいないことだ。個人的にも、小三治師の落語が好きじゃない、嫌いだと明確に言う人にあったこともないし、そういう発言を聞いたこともない。これを読んでいるあなたはそういう人にあったことがありますか?おそらく、それほど味わいを持った万人に人気をもった噺家・芸人であることは間違いないのだろうけれど、ある意味で「明確なアンチ」が存在しないことは、どうなんだろうと、ふと思った。たとえば家元には熱狂的なファンがいる反面、徹底的なアンチが存在する。わたしが好きな雲助師にも、総領弟子の白酒師がいうには「ああいう芸風ですから、ファンの好き嫌いは激しいですよ。」と言っているし、喬太郎師は自分自身で「こんな芸風ですから嫌いな方も多いですよ」と告白している。

落語ではないけれど、野球だって、アンチ巨人、アンチ阪神がいる。そしてかつては、アンチ長島がいたことでプロ野球の世界が盛り上がっていったことは確かなことだ。ちなみに長島といえば、「世界の王」だけれども、王は長島ほど「アンチファン」がいなかったように思える。というか、わたしの知っている限り、「世界の王」のアンチなんていなかったのではないか。ストイックな精神を現役生活のあいだずっと続けてきて、ある種「人格者」と思われ続けたことが、その理由だろうが、王自身はその「人格者」という亡霊と自分の実像とのギャップに悩んだ時期もあるという。

一方の、小三治師。若い頃にテレビに出たことももちろん、マクラを集めた著書や、各方面を唸らせる多趣味なことなど、マルチ噺家の元祖、といっていいほどだろう。そんな噺家は今ならよくいるが、彼らのほとんどは、それが一部のファンにはイヤミというかスノッブに感じるところもあるけれども、小三治師には年輪といっては、失礼というか月並みだろうけれど、万人に受け入れられる芸風、人柄があるのは、当然のことか。逆に先月の池袋定席のように通路はもちろんのこと、舞台のすぐ下まで座り込み、ロビーのモニターで高座を観るというという超満員の客を相手にするというのは、師の心中のなかではどんな思いがするのだろうか、ちょっと想像も及ばない。

ところが以前、ある落語会でこんなことが遭ったという。仲入り前、いつものようにマクラを話していると、観客のひとりが「いいかげんにマクラはやめろ、噺をはやくやれ!」といって、当然の如く途中で席を立って出て行った。そして仲入り後の噺ではマクラも振らずにネタを始めたという。この客のやったことの是非は別にして、客の怒号を聴いた時の小三治師はどう思ったか?

単に迷惑な客と思ったか、それとも、自分にも「アンチ」がいると知って、心の中で思わず微笑んだか。

十代目馬生の「富久」を聴く

2009年10月4日

夕方、駅前のマクドナルドで、ボーッとiPodに入れた先代馬生の「富久」を聴いていた。ほとんど客のいない、いるのはわたし同様、何かの勉強ために120円のコーヒー一杯のみのオーダーで机を占領している人だけ。外をみれば、まだ10月というのに駅前には人影なく、みんなそれぞれの家に隠れ籠もったように思われた

馬生師の高座、ネタのせいか、師走だったのだろう、お客さんが来てくれるのかどうか、楽屋で喧々囂々だったという、おきまりのネタを振ってから、幇間のはなしへ。普通、幇間がマクラに出てくると「鰻の幇間」か「幇間腹」だが、暮れだと「富久」と来るのですね。芸人や芸者を動物に例えて、噺家は「シカ」で、芸者が「ネコ」、それで幇間は「タヌキ」だという。東京の西の端、田舎の駅前の、ノンビリしたマックで聴くにはちょうどいい噺。

この「富久」という噺。これまであまり真剣に聴いたことがなかった。生ではもちろんないし、音源で聴いていても「子守歌」がわりで、サゲに来る前に深い眠りに落ちていた。また、暮れのネタというと「文七元結」や「芝濱」という鉄板ネタがあって、師走に高座にかける噺家がいないわけではないけれど、そんなに人気のある噺、というわけでも、今でもないような気がする。所詮、幇間が右往左往する噺だからか。

ところが、ちゃんと聴いてみると主人公の幇間、久蔵に何だかシンパシーを感じてしまった。酒の上のシクジリで旦那の怒りを買い、浅草の貧民窟に住む失業中の彼の日常が馬生師の口調で語られると、今の自分の生活とか状況とかと重ねてしまって、「あるようなー、そういうこと」と思ってしまう。火事に遭った旦那の家に駆けつけたものの、いつもの幇間根性と酒乱の癖が抜けないために、何の役にも立たない久蔵だが、旦那は感激して出入りを許す場面は、こころがちょっと温まる。結局、火事の掛け持ちということで浅草の自分の家も灰になってしまう久蔵だったが、旦那の親切で店に置いてもらうことになるのだが、ここでの旦那の優しい台詞もいい。文七や芝濱のように、この噺にはまさに劇的な場面というのがあるわけでは無いけれど、ベタな表現を許してもらえるなら、他人の人情の有難みというのがこころに染みいる噺も無いだろう。

この噺に何かしらの教訓があるとすると、正直に生きていれば、必ずいいことがある、ということか。けれど、今の現実世界を顧みれば、有り得なくはないが、限りなく少なくなっていることを、少なくともわたしは実感している。わたし自身は、正直者か聴かれれば、いやはや、どうも、と答えるしかないが、だからこそ、こういう噺を聴きたくなるのかも知れない。

さて、この「富久」を11月と師走の12月に聴く。11月は扇遊師、12月は白酒師だ。扇遊師の「暮れの噺」といえば、わたしにとって、どうしても「鼠穴」ということになるのだが、この「富久」も楽しみ。「鼠穴」でも魅せてくれた人間の暗い負の面の表現力を、今度は人間の根源的な優しさに置き換えて、久蔵と旦那をどんな風に演じてくれるのか。そして、白酒師。暮れの「白酒ひとり」で聴くのだが、こころのなかではひっそりと、「芝濱」か「文七」に今年は挑戦?と思っていたので、ちょっと肩すかしを喰らったような気がした。とはいえ、おそらく志ん生師の流れを汲みつつ、どんな白酒オリジナルの久蔵の描写をやるか、前回の「火焔太鼓」に引き続き、大いに楽しみでもある。

もしかしらこの二人の師匠の高座は、わたしにとって今年唯一の「ご褒美」になるかもしれない。

扇遊師の「富久」は11月12日、「志ん輔扇遊の会」@鈴本演芸場にて。白酒師の「富久」は12月18日、「白酒ひとり」@内幸町ホールにて。

馬生師を思う

2009年9月16日

書くチャンスを逃していたのだが、13日は先代馬生、十代目金原亭馬生師のご命日だった。

だいぶ前、このブログを始めた頃に馬生師について、私的な思いを書いた*1。なので、ここで同じことを書いても意味がないと思われるかもしれないが、どうぞご容赦を。命日が一年に一度巡ってくるたびに、あらためて馬生師のことを考えてしまうのが、一人の馬生ファンとしては性なのかもしれない。

雑誌で「昭和の名人」と題されて落語特集が組まれるとき、表に出てくるのは必ず志ん朝であり、遡っても志ん生師、圓生師、小さん師だ。馬生師が出てくることはあっても、その他大勢の中のひとりであり、単独で取り上げられるということは滅多になかったし、これからもないだろう。落語を聴き始めて、古典落語に熱をあげても、志ん朝師や志ん生師の顔は?と聴かれて、すぐ思い浮かんでも、馬生師の顔が浮かぶことのできる落語ビギナーはそう多くはないだろう。また当代の噺家さんを追っかけている人でさえ、たとえ五街道雲助師や桃月庵白酒師であっても、そのルーツとしてお二人の師匠、大師匠の馬生師を聴いてみようというのは少ないかもしれない。

今は過去の名人の映像がDVD化されるのブームで、圓生師の落語研究会での高座のDVDをわずかな小遣いから買おうか買うまいか悩んでいるよ、わたしに話してくれたお父さんを知っている。おそらく圓生師の次は人気的に小さん師なのだろうが、個人的には馬生師もその映像をファンの前に披露してほしいと思っている。これは白酒師が言っていたことなのだが、馬生師の場合、音源だけを聴いても、なぜここで客が笑うのか不思議に思うことがあるという。それは何故かというと、師が何かの調子で顔芸をしているから、こればかりは映像で観ないと楽しめないともいった。何のネタかは忘れたが、20分で十分終わる噺を40分かけてやって噺を聴いたことがあるという。その高座の場合、どうもその顔芸で客を笑わせて場を持たせたらしい。こうなるとその面白さは映像で確かめるしかない。だが、白酒師自身は、馬生師の映像がDVD化されるのは、どうも無理なんじゃないかとも行っていた。それは商売上の問題で、たとえDVDボックスセットを作ったとしても、利益としてペイできるだけの売り上げが見込めるか、それだけの先代馬生ファンがいるかどうかが、制作者側から見れば解らないのだという。

個人的なことを再び書くことを許してもらえるなら、やっぱりわたしにとって馬生師の魅力とは、残された音源から聞こえてくる語り口と人々の証言から伝わってくる人柄だ。酒豪というイメージは、師に関して書かれたものを読めばすぐに解るけれど、次のようなエピソードを聴くと、素直にいいなあー、と改めて思ってしまう。ある時、師のご家族がお弟子さんに何かを言いつけをしたときのこと。馬生師はすぐさま家族に言ったという。「命令するのではなくて、『誰々さん、お願いします』と頼みなさい。おまえの弟子ではなく、わたしの弟子なのだから」

こんなエピソードを読むと、馬生師の、単に弟子に対する思いやりということだけではなくで、そこには一般的に「酒豪」と語られている印象から想像できる、いかにも酒飲みらしくグズグズ、といった感じではなく、公私をきちっと分けた、ある意味、男気みたいなものさえ、わたしには感じることが出来る。

もっと極私的なことを書かせてもらえてば、以前も書いたことだけれど、師はたまたま私の死んだ親父と生まれ年が同じで(昭和四年、もっとも馬生師には異説もあるが)、思わず酒飲みだった自分の親父と重ねて思えてしまう。親父の場合、さすがに朝から飲むことはなかったけれど、それでも仕事の憂さを酒で洗い流していたことは、子供ながらハッキリと覚えている。そんな自分の親父をイヤでイヤで堪らなかったが、今、CDで聴く馬生師の高座は、酔っぱらって子供であるわたしをからかっている、そんな親父に似ているような気もする

「ヲタク」のこだわり

2009年9月10日

昨日の夜、テレビのニュースを見ていると、ビートルズの全アルバム14作品がリマスターされて再発売された、と伝えられていた。何でも、それを記念して朝9時から9時間ぶっ通しでその全14作品を聴くというイベントが開かれた、とも報じていた。「この日ばかりは会社を休んできました」とか「ずっと40年間ファンですから」とか、いかにも日本人のビートルズファンらしい、それなりの年齢の彼ら、彼女らの声を聴くと、そんなもんなのかなー、とも思う。

わたし自身は、それほど「音」に対するこだわり、というか、執着心はない。どちらかというと、LP、シングル、あのドーナツ盤というやつの最後の世代にどうにか引っかかっている人間なので、「音」などどうでもよいというわけではないが、その当時にあった、ぐわぁんぐわぁん聴くものを引っ張っていくようなグルーヴ感と思わず気持ちが乗ってしまうようなキャッチーなメロディーのほうが、大切なんじゃないの、といいたくなってしまう。もちろん今の「音」を重視する音楽ファンだって、私の思っているようなことを全く気にしていない、とは思わないけれども、「リマスターされた音は目の前で演奏しているようだ」「昔の音は奥に引っ込んだ感じ」と簡単にいってしまうことに、どこか今の最新のものが全て良しとする傾向を感じてしまって、ちょっとついて行けない。

話はかわるけれども、以前、ある人気真打ちの落語会を聴きに行った時のこと。それは民家を改造した小さな会場で定期的に行われているもので、チケットが絶望的に取りにくいことでも有名。そこで私がよく行く落語会でも見かける常連さんが最前列に座って、巧妙に高座の録音、つまりは隠し録りをしていたのを偶然見つけてしまった。「こういうやりかたもあるんですねー」と思わず唸ってしまうようなやり方だったが、逆にいうと、ファン心理、というか、ヲタク心理というものは、そういうことまでさせてしまうのだな、と、あらためてその時思ったのだった。

「高座のメモを取る」ということについて以前、書いたことがあって、その行為には他人が立ち会っていない、自分とその他限られた人間だけが体験していることを、詳細正確に記して残しておきたいという、いうなれば「落語ヲタク」心理だ、書いた覚えがあるのだけれど、そのことと共通するかもしれないが、どんなジャンルの趣味であっても、ヲタク心理というは、最新のもの、それでいて他人が持ってはいない自分だけのものを持っていたい、というものなのだろうか。そうだとするとその点では、わたしはまだまだ「ヲタク」としてのこだわりが足りないのかもしれない。