Archive for 1970年1月

柳家さん喬「抜け雀」

1970年1月1日

12月26日 「さん喬と二楽の会」@東京・代々木カタログハウス本社ビル

小んぶ 子ほめ

喬四郎 くわばら(黒田絵美子作)

さん喬 抜け雀

二楽  紙切り(桃太郎、鍋焼きうどん、虎、さん喬師、凧揚げ、藤娘)

さん喬 掛取万歳(狂歌~義太夫~喧嘩~芝居~三河万歳)

~仲入り~

(途中退場)

今年はどういうわけか、「師走の噺」といわれて「文七元結」や「芝濱」をあげるより「掛け取り」を上げるひとが多い。もちろんこれはあの「三橋三智也ヴァージョン」のおかげだが、落語を聴いているひとたちの気持ちのなかにも、今年は明るく楽しく賑やかな噺を聴いて新年を迎えたい、という思いもあるのだろう。わたしも今のこの状況でなかったら、やっぱり「文七」や「芝濱」より「掛け取り」を聴きたいと思ったことだろう。

このカタログハウスでのさん喬師の落語会は毎年、この師走に行われているらしい。わたしは初めて行ったが、係のひとたちの対応は大人で、普段、落語会を開いているプロも見習って欲しいという態度だった。客席も、開演前に列んでいるわたしたちを観たさん喬師が、「いつものご常連さん方で」といったように、マッタリした雰囲気を持つ人たちなのが、この会の特徴らしい。

小んぶさんの「子ほめ」のあとは、喬四郎さん。あいかわらず空気を読めない(読まない?)師匠をネタにしたマクラの後は、その師匠もやったという黒田絵美子さん作の「くわばら」。いつも人から厄介がられている雷神が得た仕事は、人間の自殺を助けること。とある自殺志願者の自殺をたすけることになるが・・・。新作落語のストーリーとしては面白いけれど、噺の構成が悪いのか、喬四郎さんの語り口がダメなのか、時折、彼の高座に対するあきらめにも似た笑いは起こるものの、途中でオチがバレてしまって、そのことがまた笑いを呼ぶという、なんだかよくわからない高座になってしまった。

さて気分を変えて、さん喬師の一席目。去年は「百年目」をやって、もう一年が経ったのですねぇ、と師は感慨深く語った。それにしても、この日の「さん喬通信」はいつもと違った。「さん喬通信」というのは、いつも寄席や他の落語会で師が語る、季節のうつろいや日常のささいなことを語った詩的なマクラのことで、ある落語ブロガーさんが名付けたものだが、この日は詩的というより、個人的なことをとりとめもなく話したという印象が強かった。

それは「抜け雀」のマクラでの、四国霊場巡りの話だった。実兄を亡くされたことをきっかけに仕事で訪れた四国で霊場巡りを思い立つ。東京への最終便に間に合う距離の寺へまず行ってみようと、徒歩とバスで行ったものの、帰りのバスがなくなってしまった。運良くタクシーを拾うことが出来、運転手に寺を訪れたわけを話した。するとその運転手は「近くにもまだお寺さんがありますから」とメーターを倒さず、2つの寺を案内した上、おいしいうどん屋にも連れて行ってくれたという。結局、六年をかけた霊場巡りをしたという師の感慨は、お兄さんへの思いとともに語り口の合間合間に感じられる。そして、もちろん極端に客席をシンミリさせることなく一席目の「抜け雀」に入っていく。

本題に入れば、この噺で陽気にならないはずはないだろう。さん喬師は、冒頭の浪人絵師が宿屋に入る話はカットして、その2階の浪人が、金があるのないのという宿屋夫婦のひと悶着から始めた。ふつうなら昔の交通手段、駕籠かきの話をマクラで振って、それがオチにつながっていくのがこの噺の本寸法なのだろうが、師は噺の見せ場、面白いところ、可笑しいところから始めたことで、噺のテンションを高めていく。師の描くこの噺のキャラクターは、滑稽噺らしく単純明快。浪人絵師は豪快快活、宿屋の女房は、いつも一文無しばかりを泊める亭主に愛想を尽かして、ほぼなげやりに話をするし、浪人絵師の父は枯れた味わいを保つ盆栽のような落ち着きを持っていた。なかでも宿屋の亭主は、どこまでも小心者で女房に頭が上がらず、浪人絵師にも強く出られると臆病になるが、ちょっとしたことろで怒りを露わにしてしまう、まるで「ピンポンダッシュ」のような人物造形が可笑しくてたまらない。

二楽師匠の紙切り。いつも寄席と同じように、最初に切り試しで「桃太郎」を切り、あとは客席のリクエストに応えていく。なかにはマイミクSさんがリクエストした「さん喬師匠」も入っていた。いつかどこかの落語会で同じく二楽師が「さん喬師」とリクエストされて困惑し、しまいにさん喬師自身が袖からでてきて「俺だよ!」と自分を指さしたエピソードを思い出した。その場にいあわせたSさんに言わせると、その時よりは出来が良かったらしい。

そしてさん喬師の二席目はネタだしされている「掛取万歳」。もちろん、といっては失礼だが、本寸法。狂歌~義太夫~喧嘩~芝居~三河万歳と、ミッチリやっていく。中でも可笑しいのは義太夫と芝居。ハメ物入りのさん喬師の高座は初めてだったが、義太夫の節も芝居の仕草も、素養としての根っこがしっかりしているからこそ、「掛取万歳」がパロディとして成り立っているのだろう。中でも芝居の場面は滑稽ながらも優雅で、芝居の要素を含んだ高座を十八番とする一朝師、雲助師、正雀師にも劣らないだろう。こういった芝居噺、芝居の要素を含む噺は、体力も使うし大がかりなので、そう度々高座に掛けることのできる噺ではないのだろうが、もっと聴きたい、観たいと思った。

仲入りは午後4時10分過ぎ。あとは二楽師の紙切りとさん喬師のコラボレーションがあったのだが、6時から駒込・角庵で師匠の五番弟子、喬之進さんの会があり、間に会わないと困るので残念ながら途中退場。

春風亭一之輔「藪入り」

1970年1月1日

12月22日 第213回「二つ目勉強会」@池袋演芸場

小んぶ 「道灌」

初花  「ルチャリブレ」

弥助  「駒長」

一之輔 「藪入り」

~仲入り~

歌太郎 「大安売り」

時松  「河豚鍋」

今日のご意見番は先月に引き続き、志ん五師、一朝師。そして吉窓師と弥助さんの高座から扇遊師が参加。扇遊師は最後列、わたしの席の斜め後ろに座ったので、すこし焦った。

初花さんは初。「ルチャリブレ」は、古典の「動物園」(古典といっても限りなく新作に近い『古典』だが)その後といった内容で、「動物園」をやったあと、この噺が続く。そのためか、話が長くてダレてしまった。それはこの二つにとりたてて違いも無く、ギャグも平凡ですぐに飽きてしまうからだ。それは本人も分かっているようで、冷ややかな客席の反応を敏感に察知して、何とか持ち直そうとしたようだが、サゲまで持ち直すことが出来なかった。

弥助さんの「駒長」。借金取りに追われて首の回らない長兵衛は女房お駒にひと芝居打つように持ちかける。それは出入の上方商人、丈八と間男騒動を起こさせて、彼から金を巻き上げようとするものだったが・・・・。もともと圓朝作の三題噺と言われているが、丈八が上方人なのは四代目橘家圓喬の速記を元にしているからか。もちろんこれは師匠から教わったことを示している。いつもの「美人局」のマクラからスッーと本題に入っていく。弥助さんのいいところは、男っぽい高座をするところ、と思っているのだが、それは扇遊師や文左衛門師、一之輔さんが「陽」とすると、彼はあくまでも「陰」なところ。柳系の、それこそ誰にでも分かるような表現はしないけれど、師匠譲りの様式美的な仕草や語り口にハマってしまう。特に最近は、外見に似合わず、繊細な女性の表現に磨きがかかるようになった。この「駒長」でもお駒は絶妙もの。また彼女から嘘の告白をされる丈八の純な表情も初心でいい。

今日のお目当て、一之輔さんの「藪入り」。いつもの一之輔さんのカラーはほとんど押さえての、極めてスタンダードな『藪入り」だった。もちろん一之輔さんらしいギャグが無かったわけではない。藪入りの説明をする途中で「君に忠、親に孝」という台詞があると「これがほんとの忠孝(中高)一貫教育」というクスグリを言ったが、これがウケないと分かると「教わったとおりにやったんです!」と一言(この日は師匠の一朝師が客席から見ていた)。また息子の亀が戻ってきてどこに連れて行こうかという段になると、「浅草の松が谷さんのところだろ、上野の鈴木さんのところ、池袋の梅田さんのところ、そして新宿の北村さんのところにも行かなきゃな」という楽屋落ち(いずれも定席の席亭)。だが目立ったクスグリはこの程度、あとは息子の里帰りを待ちわびる父親を一之輔さんが、いつものハジケぶりを押さえて好演していた。特に奉公し始めた時には子供だった亀ちゃんが、しっかりと礼儀を覚えて帰ってきた感慨を吐露する場面では、心が温かくなると同時にホロッとさせ、わたしの涙腺をホンの少しだけ潤ませた。今までの一之輔さんとは、ちょっと違う印象だったけれど、こんな高座が出来るのなら、いつか「子別れ」の通しをいつか聴いてみたいと思ってしまった。Mさん!リクエストお願いします!

仲入り後は、歌太郎さんの「大安売り」。久しぶりです。やっぱり歌武蔵師匠のお弟子さんだけあって、マクラから噺がちゃんと練られている。その場で間に合わせた話じゃない。この点は初花さんも見習って欲しい。歌太郎さんの高座はもちろん、師匠のような重量感はまだまだだけど、相撲取りのノソノソ感は彼らしさが出ている。

今回のトリは時松さんの「河豚鍋」。余談だがこの噺、歌武蔵師匠でも聴いたことがある。時松さんの高座を聴くときは、いつも何故か酒、食べ物の噺。「試し酒」「ねぎまの殿様」そして「河豚鍋」。出来としては、この日のネタが一番良かった。これまでの高座には、どこか無理をしている気が少ししていたのだが(例えば「試し酒」で杢助が酒を飲み干す場面)、今日の高座は仕草も自然でスンナリ笑うことが出来た。それは「ちりとてちん」とは違い、河豚鍋を食べたいけれど、怖がって食べられない大店の旦那と幇間のやりとりが可笑しいのと、乞食が二人の不安を見透かしていたようなサゲが、噺のドンデン返しとして生きているからだろう。

今回はお目当ての一之輔さんだけでなく、他の噺家さんもほぼ出来がよくて大満足。いつも思うのだが、実力のある二つ目さんの高座をそれぞれたっぷり、合計で2時間半楽しめて、たった千円というのは、安すぎである。

古今亭菊六「野ざらし」

1970年1月1日

11月24日 第212回「二つ目勉強会」@池袋演芸場

三遊亭歌る美 たらちね

古今亭菊六  野ざらし

三遊亭金兵衛 転宅

柳家ろべえ  二番煎じ

~仲入り~

鈴々舎わか馬 新聞記事

三遊亭窓輝  質屋庫

毎月1回、池袋演芸場で開かれている「二つ目勉強会」。回数を見てもらえればわかるように、もう18年近くも続いている会。この会に初めて行った。

毎回ベテラン真打がお目付役として客席にいるということだが、今回は一朝師と志ん五師が客席にいた。そういえば、かつて志ん朝師と円窓師がこの二つ目勉強会に来ていた時、酔った客が高座に上がっていた二つ目に絡んだことがあった。2人の師匠は初めはその酔客をたしなめていたそうだが、最後には演芸場からつまみだしたという。そしてその時高座に上がっていたのが、若き日の喬太郎師なんだそうだ。

■三遊亭歌る美 たらちね

歌る美さんを聴くのは久しぶり。前座としていろいろ苦労があるようだが、それは藝の面でちゃんと報われているようだ。以前より数段上手くなっているし、下手な二つ目より元気がある。何度も聴いている彼女の「たらちね」だが、今回はミッチリとサゲまでやってくれた。

■古今亭菊六 野ざらし

この日の二つ目さんの中で、一番良かったのはこの菊六さん。わか馬さんを除いて、他の2人と実力としての藝の差を凄く感じた。高座に張りというか艶々しさというか、そういう雰囲気がヒシヒシと客席まで伝わってくる。先日のNHK新人演芸大賞で自信をつけたかな。たまたま昨日、その決勝の高座を観たけれども、彼の演じた「豊竹屋」は彼なりの現代的アレンジがなされていて、思わずニヤリとしたし、それがそのまま今回の「野ざらし」に乗り移ったようだった。そしてサゲは、本来のサゲ、後半騒々しい幇間持ちが登場して馬の太鼓で終わるもので、今ノリにノッている菊六さんの高座を聴けたことと同時に、初めて野ざらしを本寸法で聴けたのも嬉しかった。

■三遊亭金兵衛 転宅

正直さがそのまま出てしまう高座なのだと思う。不器用といっていいのか。面白くないわけではないけれど、話がおおざっぱというか、もっときめ細やかさが欲しい気がする。そのせいか、途中で舟を漕いでしまった。

■柳家ろべえ 二番煎じ

いくらなんでも口調が師匠に似すぎ。とくにマクラの部分が顕著。噺の方は、冒頭の町内の旦那衆が番小屋に集まるところをカットしてあるので、せっかく番太郎のことを説明しても本筋にまったく生かされていない。そして冬の風物詩としては代表的な噺が、ただ騒々しくバタバタと物を喰う噺に成り下がっている。

■鈴々舎わか馬 新聞記事

前の二席があんまりだったので、口直しをしたいところ。流石にこの十八番には大満足。そして、「ライス朝刊」にも「動物園の『心』ぞう」にもあいかわらず大笑い。来年秋の真打昇進が決まっているが、この人こそ、もしかしたらもっと早く真を打ってもよかったともいえるだろう。それにしても、わか馬さんはこの「新聞記事」か「目黒の秋刀魚」しか聴いていないんだよなあ。来秋までにもっと聴かなければ。

■三遊亭窓輝

来年春、わか馬さんより一足早く真打になる窓輝さん。ところが、わか馬さんとも後輩の菊六さんともその実力の差は歴然としている。冒頭からボソボソと喋っているので、キャラの区別が聞き分けられないので、噺が一本調子。そして前半の旦那と番頭のやりとり、女将さんのヘソクリの逸話と、定吉が頭領に芋羊羹をねだるところが丸々カットされていた。これは時間の関係だろうし、噺が横道にそれすぎということで省いたのかもしれないが、その分、噺に深みが無くなってしまった。またこの噺に付きものの菅原道真のマクラをもカットしたので、最後のサゲが「とりあえずいいました」といった感じになってしまって、本来の面白さを半減させている。

ろべえさんも、窓輝さんも、噺の客席の笑いが取れるような面白いところだけをやり、余分なところはカットすればウケると思っているのだろうか。もしそうだとしたら、それは大きな間違い。そういった余分なところこそ、そのネタに深みを与えるものあったりするものだ。今回の2人の高座はその点でとても薄っぺらいものになってしまっている。

菊六さんは若手噺家としては硬派の雄だろう。古今亭として古典落語の枠はきちんと守りつつ、すこしずつ自分の個性を噺の中に滲ませているようだ。以前は菊之丞師に継ぐ艶っぽい噺家さんになるのかな、と思っていたのだが、その丞師がいつのまにか男っぽい噺もやるようになり、それを物にしたように、菊六さんもいろいろな噺をやることで自身の藝の幅を広げつつある。昨日TVで観た「豊竹屋」もそうだが、今回の菊六さんの「野ざらし」も鳴り物入りで聴きたいような気がする。おそらく今以上にもっと艶やかな「野ざらし」を聴かせて貰えるかも知れない。

立川談奈「藪入り」

1970年1月1日

10月31日 立川談奈独演会・秋@東京・駒込 角庵

寄合酒

茶の湯

~仲入り~

藪入り

今日の談奈さんの気持ちは、忘れない。

三遊亭好の助「千人坊主」

1970年1月1日

20090717182942

7月17日 三遊亭好の助勉強会「月夜に提灯」@上野広小路亭

立川談吉   「かぼちゃ屋」

三遊亭好の助 「提灯屋」

宝井琴柑   「清水次郎長 あんぱんの由来」(仮)

三遊亭好の助 「粗忽の釘」

~中入り~

フルーティー  漫談

三遊亭好の助 「千人坊主」

つばなれしない落語会に、初めて行った。

6時半開場、7時開演で、開場直後に行ったのに、そこにいたのはわたしひとり。しばらくして女の人がひとり入ってきて、結局、客は8人になったのだけれど、上野広小路亭ということもあって何ともいえない雰囲気。殺風景な天井が余計、殺風景に思える。

談吉さん、家元のところの末弟子だそう。去年の10月入門。正直に言ってしまうと、この日の一番の収穫は談吉さん。入門して一年足らずというせいもあるかもしれないが、初々しさがあるし、他の若い立川流の噺家さんとは異なって、リズムがゆったりとしていいな。巧いといえば、巧いのだろうけれど、いかにも、というのではなく、聴き手に親しみを抱かせる噺家さんだ。

琴柑さんは、宝井琴星先生のところのお弟子さん。まだ彼女もまだ前座の身分で、この日は受付もやっていた。桜色の着物も可愛らしい。講釈のほうは、木村屋のあんぱんの由来と清水次郎長との逸話。前座と言っても老年になった次郎長の風格はきちんと表現されていたし、比較はもちろんできないけれど、並の落語の前座さんよりはよっぽど聴かせる。講談も目が離せないなあ。

フルーティーさん。ピンの女芸人。NHKの道傳愛子解説委員に似ている。好の助さんによると、以前一回観たことがあって、その時は婦警のコスプレで漫談をやったそう。今回はスチュワーデス。とにかく凄いのを観てしまった。脱力系。ホントに力がぬけてしまうの。このあとでなかったら、好の助さんのトリネタももうすこしマシになったかもしれない(これは本人も言っていた)。ちなみにこの人、実は好楽師のマネージャー。えー!

好の助さんっていっても、知らない落語ファンもいるだろう。円楽党、三遊亭好楽師一門の三番弟子。すぐ上に兼好師がいる。そして、実父がコメディマジシャン、ナポレオンズのボナ植木先生。だから、観に行ったというのでなく、実は今年の一月、花形演芸会を観ている。その時の「無精床」が面白かったのを覚えていて、この夏は二つ目さんもたくさん観たいな、と思っていた週末の夕方、ふとこの、好の助さんにとっては初めての勉強会に行ったのだった。

化ければ、面白い芸人になると思う。兼好師と全く違う。師が知的というか、見た目も落ち着いた噺をするタイプだが、好の助さんは全く正反対で、どちらかというと文左衛門師タイプかな。でも当然ながら、まだそこまでの域までは達していない。「提灯屋」も「粗忽の釘」もそういう感じでグングン行けばいいのに、なかなかそうはいかない。何か吹っ切るきっかけがほしいところ。ちなみに好楽師の門弟は全て、社会人からの入門でみなさん30を越えている。そのせいもあるのかな。「粗忽の釘」で粗忽な男と隣人とのやり取りで、独特の間やクスグリ(すっかりと落ち着いた男が羽織を脱いできちんとたたむ)があって、思わず笑ってしまったが、この日の高座は花形演芸会で観た時よりも、印象は薄かった。

そしてトリネタの「千人坊主」。もともとは浪曲ネタだそう。好の助さんは上方の噺家さんから稽古をつけてもらったと言った。ちょっと調べたのだけれど、これをやっている噺家さんを見つけることができなかった。もしご存じの方は教えて下さい。それとも自分で落語に直したのかな。

物語は左甚五郎の話。甚五郎のパトロンで天下のご意見番、大久保彦左衛門が、江戸城内で甚五郎の彫刻を自慢したのはいいのだが、、島津の殿様、薩摩守に逆に突っ込まれる。「それほど名工であるなら、私の注文どおりのものを作ってくれ。もしそれが出来ないのなら、彦左衛門の天下のご意見番の位を取り上げる」ということに。彦左衛門、「よしわかった」と大見得を切る。薩摩守が作ってもらいたいといったのは、百日のの間に五寸四角の板の中に千人坊主の彫刻を作るというもの。ところが、この話を彦左衛門から聞いた甚五郎は断ってしまう・・・。

ところが、もうメタメタ、ダメダメだった。何しろトリの高座に上がったのが、広小路亭から指定されている終了時間の10分前。というせいもあるかもしれないが、台詞は飛ぶは、噛むは。噺の出来を云々するより、口演している好の助さんが、可哀想に思えてきてしまう高座だった。帰りに客を見送る彼は頻りに謝っていたけれど、勉強会ということであれば、今日のように自分以外の芸人を3人も呼ばず、一人会にしたほうがずっとよかったろう。これは次回、9月の会の課題ですね。

それでも好の助さんは、好きなタイプの二つ目さん。硬軟とり混ぜた噺の出来る噺家さんになるのじゃないか。ということで、しばらくは落語会があれば通ってみようと思う。

柳家権太楼「金明竹」

1970年1月1日

6月5日 6月上席夜の部仲日@池袋演芸場

柳家緑君  狸

五街道弥助 道灌

柳家一琴  目薬

初音家左橋 替り目(車屋から)

宝井琴柳  清水次郎長~大瀬の半五郎

柳亭市馬  堪忍袋

~中入り~

桃月庵白酒 臆病源兵衛

柳家権太楼 金明竹

五街道雲助 死神

もともとこの日は上野広小路・落語協会で行われる喜多八師の「喜多八のてんとほし」に行こうと思っていた。しかし2時に職業訓練校の選抜試験が終わったものの、モヤモヤ感残って飯田橋の珈琲館で「さてどうしようかな」としばらく考えていて、「そうだ、池袋に行こう」と思い立つ。

そんな理由のため、池袋演芸場に着いたのは昼の部主任、喬太郎師の「井戸の茶碗」が終盤。ロビーのモニターで見ていると清兵衛が千代田卜斎と300両のやり取りをしているところだった。緞帳が下がると、客席からドッと人が出てくる。

一琴師の「目薬」。去年の3月末廣亭、志ん輔師で聴いて以来。どうやら後の人から長くやってくれといわれたそうで、ミッチリやったとのこと。どおりでしっかり聴かせてくれた。一琴師も最初の出会いが噺が「ねずみ穴」なんていうシリアスなだったから、わたし自身でそういう印象をもってしまったのだ。この日の「目薬」とか「寄席の日」の寄合酒とか、以下にも柳家らしい滑稽噺をしてくれる。女房が尻をまくった時の旦那の一言、「一緒になって13年になるけど、こうマジマジみるのは久しぶり」とか「左が助さん、右が格さん、真ん中が黄門さん」というクスグリが強面の一琴師とのギャップを作って可笑しい。

中入りまでに上がった真打の高座はいずれも夫婦の噺だった。中トリの市馬師「堪忍袋」もそう。熊さんと女房の馴れ初めの話。熊さんが「物置に行こ、行こ、な、いいだろう?」という台詞は市馬師にはないHっぽさがあってこれまた可笑しい。後半互いに雑言罵倒を袋に向かって叫ぶ場面も師の顔芸が爆発、昼の部から残っているちょっとお疲れ気味のお客をまた爆笑の渦に巻き込んでいく。関係はないが、今回の「堪忍袋」で夫婦喧嘩の仲裁に入るのは「若林の旦那」。

中入り後、ちょっと客席が落ち着かない。白酒師の高座が始まっても途中入場してきて平気でど真ん中の席に座る客や、携帯を平気で鳴らす客、ちょっと品のない笑いで一部の客を白けさせる客がいたり、場内が静まりかえっているなかでビニール袋をガサゴソ音を立てたりする客。最悪だったのが、雲助師の「死に神」のサゲの直前で席を立って退場した客がいたことだった。そのために折角珍しい噺が聴けたのだけれど、あまり噺に集中することができなかった。

白酒師の「臆病源兵衛」。ドタバタして騒々しい噺だが、暗闇が怖いのにスケベな源兵衛もその源兵衛に殴られて死んだと思い込んでいる八五郎も そのキャラがいかにも白酒師らしい。特に八五郎が「え、極楽?地獄?」と額におまんま粒で付けた逆さ烏帽子を晒しながら不忍池をうろつくのが笑える。

権太楼師のような噺家で前座噺を聴くことは滅多にない。だからこそ聴いたその日はラッキーに思う。その上もしかして師の上方言葉を聞くのは初めてかも、という特典もついた。師の与太郎噺が可笑しいのは、師自身がホントに与太郎を馬鹿として言い切って、また馬鹿に成りきって演じているから。師十八番の顔芸も含めてそうで、たとえば「金明竹」の与太郎、松公?は涎を垂らしながら言い立てを聴いているし、途中でご祝儀としてお足も放る。と、いいつつ与太郎と対比させるためか、後半の叔母さんが旦那に説明する場面では、他の噺家がするような「叔母さんも与太郎?」と思わせるような演出はしていなくて、アッサリめ。全体的に大爆笑なのはもちろんなのだが、与太郎とお使いの上方人が絡むところが一番の見どころ。これを観たら、やっぱり枝雀師の影響大と思う。

トリの雲助師の「死神」。先日観た末廣亭のトリの時と同じ演目*1。そして同じやり方・構成。これが師にとっての「死神」の演じ方なのだろう。サゲ近く、死神が男に向かって「火が消えると死ぬぞ」と何度も叫ぶところは流石に怖い。ところで今回の呪文は「アチャラカモクレン・ディーエヌエー・テケレッツのパー」

十代目金原亭馬生「らくだ」

1970年1月1日

D

普通なら「らくだ」では屑屋の久六だが、馬生師は「長さん」といっている。長六か。とりあえずここでは久六で統一。

時々咳払い、痰を切るのは、晩年に近い時の録音なのかもしれない。「丁目の半次」の描写は今の人がやるのとは違ってとてもクール、やたらめったら怒鳴らない。その代わりドスのきいた脅しは独特。「かんかんのう」を唄う場面も踊る場面もない。どちらかといえば淡々と話が進む。久六の家族の湿っぽい話もなし。が、酔いが廻ってきてからの彼の描き方がすごい。

ーほんとにやりゃーね、んなの、のしちゃうのわけないんねぇですよ、ほんとですよ、ほんとじゃねぇって顔してるでしょ。ほんとなんですよ、ただわたしがやると相手を生かしちゃおかねぇんですよ、それでやらねぇだけの話でね

ここから立場逆転。らくだの髪の毛をむしる、菜漬けの樽にらくだの遺体を押し込む場面で、久六の凶暴さが全開となる。このハチャメチャさ、ある意味での陰惨さの描写は当代の噺家とは比べものにならない。それは普段の馬生師の温厚な印象との落差がそう思わせるかもしれないが。

オリジナルの火屋のオチまでやってマクラを入れて50分足らず、本題だけだと40分。台詞は少なくてシンプルではあるが、いつも聴き慣れている「らくだ」とは違った意味で聴きごたえのある先代馬生師の「らくだ」である。

古今亭菊之丞「茶の湯」

1970年1月1日

4月12日 第5回みずほ寄席@東京都西多摩郡瑞穂町福祉会館

私の住んでいる青梅とは、隣町と言っていい東京は西多摩郡瑞穂町の地域寄席。この寄席は、仕事からリタイアした方が中心と活動されている「みずほ熟年塾」という組織が運営している。お客さんはよくわらう町内のおじさん、おばさんばかり。いつもこういう席で高座が出来れば、噺家さんは大喜びだろう。ちなみにこの地域寄席の席亭さん。何処かで見たお顔、お名前と思ったら、自分が30年前通っていた中学校の先生だった。お声は掛けなかったものの、ちょっと懐かしい気になった。

春風亭ぽっぽ 子ほめ

古今亭菊之丞 茶の湯

~中入り~

古今亭菊之丞 幾代餅

■春風亭ぽっぽ 子ほめ

言葉はハッキリしているし、それなりに上手いし、姿形もカワイイのだけれど。それだけではダメではないかと思う。というか、ある意味で女流噺家の場合、前座とか二つ目になりたてのころは、女というものを捨てなきゃいけない部分があると思っているのだが、ぽっぽさんはまだそこを捨て切れていない。もちろん女性として出来うる表現というのは、噺家として大きな武器にはなろうけれど、それを使うのは先のことでいい。今はオーソドックスに力をつけてほしい気がする。

■古今亭菊之丞 茶の湯

師が最近頻繁に高座でやっている。滑稽噺ではあるけれど、独立した見せ場もかなりあるし登場人物の数も出入りも多く、その上細かい仕草にも神経を使わなければならない大ネタ。50分近い長講となったが、こちらを厭きさせずにみっちりと笑いが絶えない噺に仕上がっていた。見せ場は全編にわたって散りばめられていて、それぞれが噺家としての力量が試されるエピソード。特に前半の隠居と小僧の定吉がムクの木の皮入りの茶を飲む場面の仕草や、後半の茶を飲まされると知った鳶の頭が慌てる場面のドタバタぶりは視覚的にもそれは派手で、菊之丞ファンの人は是非観ておくべきだろう。師匠の今までの滑稽噺の中でも、ネタの大きさといいドカンドカン笑わせる爆笑度といい、今までの菊之丞師にはなかったタイプの高座のように思う。後半のドタバタぶりはケッサクであり、また豆腐屋、鳶の頭、手習いの先生の描き分けという細かいところももピッタリと決まっていた。細かいところといえば、噺の中に出てくる「ムクの木」や「あんどんの灯し油」などの言葉の説明にもも言い澱むことなかったので、観客がそれらの言葉を理解にすることによって噺の流れを中断されてしまうようなことはなかった。

■古今亭菊之丞 幾代餅

中入り後は、三道楽の噺から始まったので「お見立て」かな、と思ったら、おお「幾代餅」だった。しかしながら、時間の関係か「茶の湯」をこれでもかというほどミッチリやったためか、こちらの方は冒頭の清蔵とお内儀の会話はカット、いきなり親方に恋煩いの話をするところから始まる。ずいぶん大胆なカットの仕方をするなぁ、と思いつつしばらく聴いていたが、それ以降の話もアッサリめ。清蔵が親方に給金の請求をする場面や、彼を吉原に送り出す場面、藪井先生から吉原の事情や行儀を教わる場面など、普通ならミッチリ描写するところも、どちらかといえばスーと流したという印象は否めない。色々と事情があり仕方がないとはいえ、「幾代餅」をやるならばもうちょっとミッチリやってほしかったというのが正直な感想。また後半の幾代太夫が清蔵に思いを告げる所など、師の十八番であり、この噺の聴かせどころでもある芝居かかった女形の台詞や仕草が、よく笑うお客さんのために何処か滑稽なものとして捕らえられていたかもしれない部分があり、それが残念なところ。しかし師からすれば、お客さんに笑ってもらえればそれでいいわけで、今回のようにあまり時間のないときにこの「幾代餅」をやるときはそれはそれでいいのかもしれない。完全版完璧版は次回に期待しよう。

三遊亭萬窓「明烏」

1970年1月1日

3月27日 第15回三遊亭萬窓独演会「萬窓百景」@池袋演芸場

柳亭市丸   金明竹(前半のみ)

五街道弥助  うなぎ屋

三遊亭萬窓  質屋蔵

~中入り~

太田家元九郎 津軽三味線

三遊亭萬窓  明烏

プログラムによると、この独演会には「『案ずるより生むが易し』と申しますが、恐れていても世の中はどうにかなるものです。今回はそんな噺を並べてみました」とのこと。なお萬窓師の演目は事前にネタだしされていた。

■柳亭市丸 金明竹(前半のみ)

プログラムに「開口一番、有望 前座」と書かれた市丸さん。「金明竹」は通しで出来るように頑張らなければね。

■五街道弥助 うなぎ屋

いつもなら寄席のサラ口で聴くことの多い弥助さんのこの噺。今回はじっくりと丁寧な語り口で聴かせてもらいました。弥助さんの口調はただ威勢がいいだけじゃなくて、男っぽいところが非常に私の好み。

■三遊亭萬窓 質屋蔵

「質屋蔵」という噺、場面転換が結構あるし人物も入れ替わり立ち替わり登場する。しかもマクラでお約束の菅原道真のことに触れなければならないので、順序立ててキチッと噺を勧めていかないと、途中で聴いているほうに飽きが来たり訳がわからなくなってしまう噺だ。その点、萬窓師はマクラから丁寧にしかもテンポよくストーリーを進めていくので聴いていて飽きが来ない。特に前半の質屋の旦那が番頭に、かんざしに質入れした人の気が入るという話をする場面や、熊五郎が旦那に色々と言い訳をする場面は、噺の中でも客がダレるところで演者の実力を試されるところ。けれども萬窓師はそこのところを登場人物それぞれの語り口や仕草の工夫で、噺の中に客の興味を惹くことに成功していた。そして、後半の番頭と熊五郎が蔵に乗り込む場面。二人のドタバタはそれなりに面白かった。特に大の男二人が腰紐を結わいて台所に箸を取りに戻ることは笑わされた。けれどももうちょっと派手にやってもよかったかもしれない。それと蔵の中で力士が質入れした廻しが相撲を取っているという場面で時事的なクスグリを入れていたが、あれは萬窓師にはいらないこと。本格的本寸法でやっても代わり映えなく面白いと思うのだが。

■三遊亭萬窓 明烏

中入り後は、「一丁あがり」の出囃子で高座に上がる。もしかして「古今亭トリビュート?」と思わせた。個人的には亭号は違うとはいえ、志ん朝師が残したトラディショナルな落語を受け継ぐ噺家の一人として、とても印象が深い萬窓師である。事実、噺の最中ときおり、志ん朝師の影がすーっと高座を通ったような気さえする高座であった。噺自体は、台詞の細かいところは異なるものの、大筋での構成は志ん朝師のヴァージョンを思わせた。けれどもそれが単なるコピーで終わらないのは、しっかりとした江戸前の口調で噺をちゃんと自分のものとしているからだろう。中でも聴かせたのは時次郎、源兵衛、太助が一緒になって吉原に行く場面以降。萬窓師は、町内の札付きといわれる源兵衛と太助を「遠山の金さん」のような遊び人的軽さをもったデコボココンビとして描き、また時次郎が廓で一晩過ごす前と後とを「ツンデレ」風に軽妙に描くことで、女郎買いの廓噺というよりは滑稽噺の色合いを濃くしていたように思う。特に花魁が足を絡ませて、時次郎を起きさせないというのではなく、彼の背中に爪を立てて「これは私のオ・ト・コ」と思わせるような演出があったのは新鮮。ただここでも残念だったのは、ラストの場面で時次郎が花魁と一晩いい仲になって、自分たちがフラれたことを「ブログに書いてやる」という太助の台詞。いかにも今風なクスグリだが、やっぱり「質屋蔵」同様、こういったクスグリは萬窓師には不要。本寸法でもちゃんと聴かせることが出来るのに、最後のこの一言で、まるで高座の最中に客席で携帯が鳴るような気持にさせられた。噺全体は非常に良い出来だっただけにここだけ、この一点だけが悔やまれる。

腐女子的落語について

1970年1月1日

某大型掲示板の伝統芸能板で「腐女子的視点で落語を聞いてみる」というスレッドが立っている。

「腐女子」という言葉を知らない人がいるかも知れないの一応。

腐女子(ふじょし)、もしくは腐女(ふじょ) とは、男性同士の恋愛を扱った小説や漫画を好む趣味を持った女性のこと。「婦女子」(ふじょし)をもじったネットスラングである。

中略

ある女性がホモセクシャルな要素を含まない作品の男性キャラクターを同性愛的視点で捉えてしまう自らの思考や発想を、自嘲的に「腐っているから」と称したことから生まれた。 それに伴い、漫画やアニメなどに登場する架空のキャラクターや実在するアイドルやお笑い芸人などの男性同士が「もしも恋愛していたら」という妄想で楽しむ女性を表す言葉となる。

その後ボーイズラブ (BL)・やおいというジャンルが普及し市場として発展したことにより、BL要素がある漫画・ゲーム・小説・CDなどを愛好する女性も含む呼称となった。

腐女子 – Wikipedia

「ボーイズラブって何?やおいって?」という方はこちらを→ボーイズラブ – Wikipedia やおい – Wikipedia

誤解して欲しくないのだが、そういう嗜好を持っている人たちに対してどうのこうのという気持はまったくなく、それどころかこの手のジャンルの小説、マンガは本屋に行っても結構なスペースを占めていて相当な人気があることがわかる。それどころか、和歌山県堺市立図書館では5500冊ものBL系小説をどうするかで一騒動あったらしい。

それはそうと、落語の噺。

以前、雲助師のマクラで廓噺か何かだったろうか、中での女郎買いにつづいて湯島や日本橋芳町での陰間茶屋のことが語られたことがある。「陰間」とは「男色」のこと。先日の喬太郎師の「幇間腹」でも若旦那が茶屋の女将に今日は芸者はいらん、一八だけでいいというと、女将が「あ~ら、いつから?」という台詞がある。真昼の茶屋で大店の若旦那が幇間と二人っきりで・・・と、いかにもそれらしい状況で喬太郎師らしいクスグリだが、今日のテーマから行くと、この「幇間腹」という噺、いかにもBL系の噺になる。もちろん師には「カマ手本忠臣蔵」という立派な?ネタがあるが、あれはちょっと露骨すぎて萌えないだろう。少し噺はずれるけれども、喬太郎師が「お菊の皿」をやるとき、青山鉄山のお菊への折檻場面を団鬼六の「花と蛇」如くに語る場面があるが、もともとのヴァージョンにはその折檻場面がちゃんとあったらしい。一応「怪談噺」だからそういう陰惨な場面があってもいい思うけれど、何かしらの理由があって削られたのか。

で、その手の落語の噺。以下が「腐女子が萌えるかもしれない」ネタだそうだ。

「笠碁」

「宿屋の仇討ち」(宿屋で江戸っ子三人組が相撲を取る)

「七段目」(若旦那が定吉に妹の長襦袢を着せている)

「蜘蛛駕籠」(これも狭い駕籠の中で男二人が相撲を・・・)

「百年目」(旦那と番頭)

「元犬」(犬が奉納手ぬぐい一枚きりの美少年になってしまう)

「長短」 

などなど。また「藪入り」は明治の中頃までは「お釜さま」というそのものズバリ題名だった。→お釜さま – Wikipedia 案外今の言葉もここから来ているのかも知れない。

ところで、かつて枝雀師が口演した「貧乏神」(小佐田定雄作)という演目が立派なBL落語らしい。どういう噺なんだろう?