2月7日 青梅市立美術館
今日はひさしぶりに地元に居た。火曜日はポリープの手術だし、本配属されてからバタバタしていたから、家でじっとしていることにした。
とはいっても、こういう時にしか行けない展覧会、以前から駅前のポスターで気になっていた青梅市立美術館の「開高健展 開高健とベトナム」に行った。
そういえば、開高の本は最近読んでいない。ベトナム物の「ベトナム戦記」や「輝ける闇」はずいぶん昔に読んだ。その2冊も興味深いけれど、私の好きなのは「ずばり東京」。わたしが生まれた直後、1960年代半ばのオリンピックに湧く東京の風俗、ありようが優しい目線で描かれている。
開高は1964年、朝日新聞社の特別特派員として当時の南ベトナム政府軍とともに最前線に従軍、そのさいベトナム解放軍の急襲をうけ、部隊200人中17人しか生き残らなかったという死線を越えて生還する。
その時のスナップ写真や使用したヘルメット、ジッポー、眼鏡、身分証明書の実物や前述の解放軍の急襲を受けた際のレポートを電話報告したテープが再生されていた。また、作家活動を本格化させてからの山口瞳や遠藤周作ら昭和の文士たちのポートレートなどが展示されていた。
印象深かったのは、ベトナム戦争に従軍した時のフォト。よく知られている、急に便意を催して、糞を原子爆弾に例えた文章と写真はユーモアを感じさせるが、大半は開高を被写体にしているようにみえて、戦争に参加しているアメリカ兵や現地のベトナム人のなかに彼自身が溶け込んで、ちょっと見にはどこにいるかわからないほどだが、それがかえって戦争の冷徹さを実感させる。なかでも整列した黒人兵(当時はまだ人種毎に部隊が編成されていたのか?)を見つめる眼差しはどこまでも優しい。
ただし、この会を主催した団体は開高が反戦運動家としてベ平連に参加していたことを強調しているが、彼自身はその後ベ平連の急激な左傾化に嫌気がさして脱退したことや、その後の保守化についても述べられていないことは、そのところが欠けているのは片手落ちだろう。