Archive for 2008年3月

柳家権太楼「第57回日曜朝のおさらい会」~ 百年目 ~

2008年3月30日

3月30日 池袋演芸場 11:00~

柳家ごん坊、改め柳家ほたる二つ目昇進おさらい会卒業式?

お菊の皿 ほたる

真田小僧 右太楼

百年目  権太楼

開場前、演芸場前で並んでいると通りがかった兄ちゃん二人組が言ってました。

「なにこの列?」「パチンコだろ」

確かに場所的にはねぇ。でも権太楼師匠の噺を聞きに来たんだよぉ。

開場前に長蛇の列が出来て定時を過ぎても寄席の中に人が入りきれず、立ち見も出るほどの盛況。そもそもこの「おさらい会」、権太楼師匠の高座を公開リハーサルで聞くという感が強いのですが、今日事前に配られたチラシによると「百年目」を今日演るとのこと。これって、鈴本5月上席夜の部「権太楼噺たっぷり十夜」の演目の一つですね。まさに公開リハーサル。でも、内容は素晴らしかった。

まずこの3月に二つ目に昇進したほたると、現在二つ目の右太楼、と権太楼師が並んで登場。ほたるくんの昇進口上をするのかなと思ったら、そこまで堅苦しいことではなくて、「前座」としてこのおさらい会に出るのが今日が最後ということで、その卒業式とのこと。っていうか、右太楼といっしょに師匠がちょっとお小言を言ったということなんですね。

いいかえれば、この二人に対する師匠の期待を今日きたお客さんの前で熱く語ったというところでしょうか。(このことについては、後日書いてみたいと思います。)

そして、その小言=期待が、今日の「百年目」の前説になったようです。

まずはそのほたるくんの「お菊の皿」。師匠の小言に緊張したのか、マクラからかなり緊張ぎみ。噺の入り方もトチるなど舞い上がっているのが客席からもわかりました。出来自体は先日観た独演会のほうが、数段良かった気がします。やはり師匠の前にネタをおろしたばっかりの噺をやるのはやりにくいですよね。

つぎは右太楼さんの「真田小僧」。今回は講談の部分はカットしていました。ほたるくんとくらべては申し訳ないけれど、やっぱり兄弟子。実力は数段上。話の運び方やキャラの描き分けなどは、師匠から「今年は何かしらの賞をとるだろう」と言わしめたほど。もっとじっくり聴いてみたい噺家さんですね。

ところで右太楼さんって、権太楼一門のなかでも異色。何でって彼だけ痩せてるよね。(笑)

最後に権太楼師の「百年目」。今の時期、大抵の噺家さんは「長屋の花見」か「花見の仇討」を口演するなか、師は、今日のおさらい会に「百年目」を選んだのでした。

師としては、上に書いたようにこの会は「公開リハーサル」ですから、肩の力を抜いて、いわば流すという感じで口演されたのかもしれません。

しかし、そのリラックスした雰囲気の中で口演された「百年目」は、最後のところ、まさに旦那が番頭に諭すところで、まさに師自身が愛弟子両人に諭しているように私には思えて、今日のこの会自体の雰囲気が何か暖かいものに包まれているように感じたのです。

もしかしたら、師は今日この噺を右太楼、ほたるのために口演したのかもしれません。

もちろん噺そのものもすばらしかった。なぜ他の噺家さんが「百年目」を口演しないのか不思議なぐらいでした。確かに50分ちかくある大ネタとはいえ、人情噺として他の「花見もの」にはないものがあるのに、です。

東京はもしかすると、この週末が桜のピークになるかもということですが、その日に師の「百年目」を聴けたことは本当に幸せでした。

芸人の評価は誰が決めるのか。

2008年3月28日

マクラで噺家の評価は、仲間内と客では異なることを紹介。4パターンに分けて、

!人気はあるが仲間内の評価が低い。古今亭志ん輔と菊之丞の名が出ていた。

“仲間内の評価は高いのに人気が出ない。

#人気もあり仲間内の評価も高い。市馬の名が出た。

$人気もなく仲間内の評価も低い。ネタの中で鈴々舎馬桜の名がでたが、これは冗談だろう。

先日初めて、三三に誉められたが、今の調子を落としている三三に誉められても嬉しくないと、なかなか辛口のマクラ。

HOME★9(ほめく): 「三三と菊志ん」@お江戸日本橋亭

以上は、3月22日お江戸日本橋亭で行われた「柳家三三と古今亭菊志ん」の会での、古今亭菊志ん「だくだく」のマクラからです。

で、このことについて「落語の噺とネコの話」のジャマさんが以下のように述べられています。

!で志ん輔と菊之丞の名があがるのが不可解。

とは言え、その世界の内と外では評価が違うということはよくある。

以前、あるところで聞いたことだが、芸人が芸人を評価するというのは、芸がどうこうではなく、その人が自分にどれだけ利益をもたらしてくれる(飲みに連れて行ってくれる、仕事を回してくれる等)かによるのだという。

勝手な推測だが、市馬は面倒見がよく(とどこかで聞いた)、志ん輔と菊之丞はあまり社交的ではないのかもしれない。

4パターン・その1 落語の噺とネコの話/ウェブリブログ

先日まで読んでいた結城昌治著「志ん生一代」の中で、若き日の無名志ん生師匠は、先輩噺家たちのどんな苛めや嫌みを受けようとも、「てめぇたち何ぞよりはこっちとらの芸のほうが上だ。」とじっと耐えていたという逸話が書かれています。

もちろんこの小説における無名時代の志ん生師匠のことついては創作の部分が多くて、どこまで本当のことか分かりません。しかしもしこの逸話が本当だとしたら、若き日の志ん生師匠をそういう気持ちにさせたのは、その当時の落語界に、この言葉が適切かどうかは自信はありませんが、「神様」ともいっていい名人と呼ばれる師匠たちが周囲にいて、そういう人たちの威光・威厳が今回の菊志んさんのような発言をさせなかったのでしょう。

顧みて、いまの落語界にそういう名人たち、下の噺家、芸人たちにとって、そばに近づくことさえはばかれ、もしそばに近づくことがあったなら直立不動、こちんこちんに固まってしまうような、名人たちがいるでしょうか。

もちろんこんな発言は昔も今もあったでしょうが、そういった名人たちがいないからこそ、今回のようなマクラが堂々と高座で語られるのでしょうね。

ところでこの前菊之丞・柳朝二人会で柳朝師匠がおっしゃっていました。菊之丞師匠が二つ目の頃、師匠はまだ前座で周囲の前座さんたちともども、兄弟子としてかなりしごかれたそうです。もちろん笑いながら懐かしい思い出として話されていましたが、実際にそういった「しごき」に耐えかねて辞めていった前座さんたちもいたそうです。菊之丞師匠が芸人内で評価が低いということが仮にあるとしたら、こういうことが理由かもしれません。

しかし、この「しごき」を兄弟子が弟弟子を育てたいという思いというふうに受け取るか、自分にとって単なる損得勘定という定規で受け取るのか、今と昔の時代の感覚の差ががそうさせるのでしょうか。でも、ちょっと古いタイプの人間、体育会系の私にとっては辛口・饒舌をまき散らす前にご自身の芸をもっと磨けといういいたいですね。

そして本当の評価というのは私たち客が行うものだ、ということを、自分の損得勘定でしか判断しない噺家、芸人さんたちは肝に命じるべきでしょう。

志ん生一代〈上〉 (人物文庫)

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志ん生一代〈下〉 (人物文庫)

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柳家ほたる「お菊の皿」

2008年3月27日

3月26日 「ヽ五行会」柳家ほたる独演会@羽村生涯学習センターゆとろぎホール

転失気

牛ほめ

ー中入りー

お菊の皿

「ヽ五行会」は「てんごかい」と読みます。通常同ホールで行われている「ゆとろぎ寄席」は真打と二つ目あわせて3、4人で口演するのですが、この「ヽ五行会」は、若い二つ目(具体的には二つ目になって2、3年)さん1人に限定し、噺をじっくりと聴いて温かく見守り応援していこうという趣旨の独演会だそうです。

今回は三月に二つ目に昇進したばかりの柳家権太楼門下の柳家ほたるくん。私は既に末広亭(ここで「転失気」は体験済)や鈴本で高座を観ているんですが、若いながら何とも言えない独特のフラがあり、「落語の噺とネコの話」のジャマさんがいうところの、

「悪がきがそのまま大きくなったような風貌で、出てきただけでどことなくおかしい。」

雰囲気がとてもイイ感じで、すっかりファンになりました。

中入り前の二席は、今のほたるくんにとって得意中の得意の噺。珍念さんや与太郎というキャラがその雰囲気にピッタリとあてはまって、師匠おゆずりのオーバーアクションも嫌みにならず、楽しませてもらいました。

中入り後の「お菊の皿」は師匠から上げてもらってから初めて口演する、ネタおろし。噺の内容も前の二席とは雰囲気の違う滑稽話です。そのためかほたるくんはちょっと緊張気味で、言い直ししてしまうところや、先を急いでしまうところもありました。例えば若い衆とお菊が絡む場面など、もうすこし間をとれば、可笑しさがもっと強調されたように思います。

しかしほたるくんのキャラは、そんなネガティブなところもふっとんでしまいます。三席終わった後お楽しみ抽選会があり、ほたるくん自筆の色紙や手ぬぐいなどをお客さんにプレゼントしていましたが、その対応にも初々しさが感じられました。

この気持ちを忘れずに頑張ってほしいものです。

蛇足ながら、池袋演芸場4月上席と4月12日権太楼師匠、桃月庵白酒師匠と深川江戸資料館でおこなう落語会も聴きにいく予定です。

BS-i 落語研究会ぷち 三遊亭歌武蔵「大安売り」

2008年3月26日

録画しておいたBS-i 落語研究会ぷち 三遊亭歌武蔵「大安売り」を観ました。

ゲストの喬太郎師も言っていたけれど、この噺は歌武蔵師にとっては、狡いというか役得でしょうな。

まぁ、これも一種のフラには違いないけれど。

それにしても喬太郎師が「歌武蔵兄さん」ってぇのには笑えました。

春風亭柳朝「今戸の狐」

2008年3月23日

3月22日 菊之丞・柳朝二人会@湯島天神参集殿二階

春風亭一左「牛ぼめ」

古今亭菊之丞「紙入れ」

春風亭柳朝「今戸の狐」(ネタだし)

中入り

春風亭柳朝「浮世床」

古今亭菊之丞「花見の仇討」(ネタだし)

鈴本昼席の悶々とした気持ちを抱えながら、人波でむせかえる上野の雑踏から離れ二人会の開かれる湯島天神に向かいました。

会場は普段神式の結婚式披露宴が行われるであろう、百畳ほどの和式の大広間。さすが天神様のホールというか一室ということで、普通の寄席やホールには無い雰囲気があり、個人的には気に入りました。私が中に入ったころは、まだぽつぽつというところでしたが、開演間際になると溢れんばかりのお客。急遽椅子席を用意したり、お互いつめあったりして何とか入ることが出来たものの、座布団が全然足りなかったりして、年配の足の悪い人には何かと不便であったかと思います。

それと桜の開花宣言も出されるほどの陽気と会場の熱気で、窓をあけてもなお、手もちの何かで風を送る人たちもいました。

さては噺の方は、と申しますと。

■まずは一左さんの「牛ほめ」

自己紹介ならぬ事故紹介から始めたマクラはなかなか。噺自体は聞かせるけれども、もうちょっと与太やおとっつあん、おじさん、色分けというか、性格分けをちゃんとしたほうがいいかと。どのキャラも同じように見えて、噺が単調になってしまう気がありました。

■次は菊之丞師匠の「紙入れ」

マクラと本筋との連携がうまくいった好例。マクラで学校寄席でおこなった落語における人物表現の方法を話し、「おかみさんの場合はこうする」と見せておいたのは、本編での間男の新吉を誘い込んだ好色なおかみさんが本当に色っぽく、ある意味悪女であることの伏線であったことに、思わず唸ってしまいました。

「紙入れ」は今でいう、っていうか、もうこの言葉自体死語かもしれませんが、落語の話しの中では「目薬」や「短命」といった男女間のピンクコメディのひとつですね。ともすればただスケベでイヤラシイ噺になってしまうだけのけれど、今回ははそうはならなかった。それは師匠の巧みな人物描写、初心な新吉、悪女であるおかみさん、何も気がつかない間の抜けた旦那、がうまく描かれているからでしょう。

実をいうと師匠が20日の八王子寄席で「幾代餅」を演じたということを事前に知っていたので、今回も何か艶話をやるのでは、と思ってはいましたが、今回の落語会の場所が場所だけに、露骨なエロ話はしないだろうなぁ、と思っていましたが、関係なく演じていただけました、ハイ。

■中入り前は柳朝師匠の「今戸の狐」

う~ん、今回のこの噺、師匠にとっては志ん朝師匠へのトリビュートなんですね。

二人会が終わって帰宅後、志ん朝師匠の「今戸の狐」をあらためて聴いてみたんです。するとマクラで語られる符牒、いわゆる隠語の噺が両師匠のそれぞれのバージョンで同じだったのですね。で、もっとよく聴いてみると、小間物屋のおかみさんと良輔との会話の部分(柳朝師匠の今回のバージョンではカットされている)以外は、話しの運びや登場人物の語り口など似ているところが、多々あるんです。いわゆる音楽業界でいう完全コピー、完コピってやつですね。

私はそれがいい、わるい、ということをここで書くつもりは毛頭ありません。私が今回聴かせて戴いて、柳朝版「今戸の狐」には師匠の志ん朝師匠に対する敬愛の念を感じたんです。そういう先達・名人に対しての畏敬の気持ちを失わない師匠の語り口を聴く時、それが単なるコピーだの、そうじゃないだの、というのはたいした問題じゃない。そういえば師匠の噺のマクラには、志ん朝師匠が登場しないマクラないというほど、その思いは強いんですね。それは「春風亭柳朝」という大看板を背負っているということもあるかもしれない。また先代柳朝師匠が志ん朝師匠と特に仲がよかったということもあるかもしれない。

まったくもってホント、私のような落語ヲタならぬ、1人の落語ヨタがこういうことをいうのは本当におくがましいのですが、柳朝師匠がこういう気持ちをもってこれからも噺を演じられていく限り、私は心より師匠を応援しようと思っています。

■中入り後柳朝師匠の「浮世床」

■そして主任は菊之丞師匠の「花見の仇討ち」

さて上のように書いてきて、いまさらこう書くのも何なんですが、中入り後ののお二方の演目は、確かに笑わせ楽しませてもらいましたが、どこかイマイチでした。

というのも、思うに初めての二人会ということで、中入り前の演目にやたら力が入っていた気がします。その演目は両方とも中味が濃くやたら聴いている間の時間が長く感じられました。

そして実際中入りの演目を話されている途中、お二方とも終演時間を気にされてか、かなり飛ばしていたような気がし、中入り前と違って菊之丞師匠の噺が終わるともう終わっちゃったの、という感じでしたね。いみじくも終演後、菊之丞師匠が「今回の噺は二人ともネタおろしで・・・。」と話されて、実際「花見の仇討」ではかなりとばしてしまったところもあるようです。

しかし、何度も書くようですが、初めての二人会、慣れない会場、蒸し暑い状況、そして例の花粉症、等々、まぁいろいろな条件が重なった訳ですが、それでも余あるこの会場のアットホームな雰囲気、そして今回の両師匠の噺、特に中入り前、でした。次回は7月22日にあるそうですが、楽しみにしております。

柳亭市馬「出来心」

2008年3月23日

3月22日 落語協会3月下席昼の部@鈴本演芸場

柳亭市朗「無学者」

柳家さん弥「熊の皮」・・・○

柳亭市馬「出来心」・・・◎

柳家ほたる「動物園」・・・◎

桃月庵白酒「子ぼめ」

鈴々舎馬風 小咄

柳家三三「長屋の花見」

入船亭扇遊「初天神」

柳家はん治「ぼやき酒屋」

橘家文左衛門「ちりとてちん」・・・×

東京で桜の開花宣言が出たこの日、気温も上昇、花粉も全開で飛散しているようで、高座で手ぬぐいで汗を拭うふりをしながら何度も鼻水や涙を拭くのを見かけました。

そのせいだか低調な高座が続きました。何だか全体的にトーンが低いんですよ。もちろん客席は笑うことは笑うんですが、それは「よく笑う客」ということで、噺の水準とかとは別の問題。それに前の席座った家族連れ(子供を含む)が噺の最中にコソコソと喋りだすし、高座に集中することが出来なかったことが度々でした。

市朗さん、噺の性格上仕様が無いのかもしれませんが、同じギャグを何度も聴かされると流石に飽きる。時間がやたら長く感じました。それと古典落語を演るのなら、眼鏡は外した方がいいとおもいますよ。噺の途中で眼鏡をかけ直すのが気になったもので。

さん弥さん、代演だったのかな。でも面白かったです。特に甚平と横町の先生のやり取りは笑わせてくれました。

市馬師匠、さすがご自分の流儀を崩さす、そしてもちろん手も抜かず笑わせてくれる。トンマな泥棒が最高。

ほたるくん、まだ「さん」より「くん」付けのほうが似合うかな。今回の演目「動物園」でも、師匠ゆずりのアクションも、他の人がやればオーバーな表現になるところを、ほたるくんが演じるとそうでなくなる。ユーモラスでかわいくなる、これが彼独特のフラなのでしょう。

三三・扇遊両師匠、こんなもんなのでしょうか。このお二人はちゃんとじっくりと聴かなければ。

文左衛門師匠、「ちりとてちん」ですか。コレ、もうあきました。どの寄席に行っても必ず1人はやるんですよね。その日の客層を見て無条件に笑ってくれるお客なら、朝ドラで今流行っているし無難にこれにしちゃえみたいな、部分が多々あると思うんですが。百歩譲って、主任以外がやるのなら、まだ許せますが、個人的にはこの「ちりとてちん」という噺、今現在の状況では主任がやる演目ではないとおもいます。いみじくも師匠がマクラでおっしゃっていたように、若手の真打が鈴本で主任を勤めることはどういうことか、わかっている以上は、演るべき演目をもっと吟味するべきだと思います。

それと師匠の高座上のアクションは、悪い意味でのオーバーアクション。完全にテレビ向き。落語の高座上でのアクションは指の先まで神経を行き届かせたものではなければならないのでは。冒頭のお客にご自分の写真を撮らせるパーフォーマンスもテレビの影響大ですね。どういう「つかみ」をされても構わないとは思いますが、せめて名びらぐらいは元に戻してほしかったです。

最後につまらない蛇足ですが、師匠がまだ楽屋入りする前にロビーで身内の方に今日のそれまでの演目を訊ねているのを見かけました。そういうの、なんだかシラケるなぁ。周囲の人はまだ師匠が私服だったので気がつかなかったでしょうが。

柳家さん喬「天狗裁き」

2008年3月15日

3月15日 落語協会3月中席昼の部・夜の部@新宿末廣亭

今回は艶話、下ネタ(おなら)噺が多かったな。

権太楼「短命」◎

・・・いつもながらの大爆笑噺。これを聞かずに帰った客は無事に家まで帰れたのか。

志ん輔「目薬」◎

・・・おなら噺だが、色っぽさも。

馬生「紙入れ」○

・・・師匠の「女形」は何時聞いても色っぽい。

円菊「宮戸川」○

・・・途中で終わったのが残念。

ごん坊改めほたる「転失気」○

・・・なかなかの熱演。26日の羽村での落語会は見に行きます。

雲助「夕立勘五郎」◎

・・・噺のほとんどがいわゆるズーズー弁。一席とおして客席は笑いっぱなし。

さん喬「天狗裁き」◎

・・・たまたま客席にいた子供を枕にした導入部から、オチまで一気に見せた。

四月中旬の陽気だったそうで、昼の部から夜の部はじめまでは二階席まで入れて満員だったが、次第に席を立つ人が多くなった。主任が権太楼師でも最後まで見ようと思う人はそうはいないのか。