Archive for 2009年12月

快楽亭ブラック「文七ぶっとい」

2009年12月31日

12月30日 快楽亭ブラック毒演会@浅草・木馬亭

ブラック 前説

ブラ之助 権助魚

ブラック 羽団扇

ブラック 一発のオマンコ

~仲入り~

ブラック 川柳の芝浜

ブラック 文七ぶっとい

ブラック師の落語会は初めて。ふつう落語会に行くと、開演前の客席はこれからどんな噺を聴かせてもらうのだろうという、明るくざわざわしたものがあるのだけれど、ブラック師の落語会にそれは皆無。ほとんどが男性で(2,3人の女性もいたが)客同士の会話もほとんど聴かれず、ひと昔もふた昔も前の名画座を思い出させる木馬亭の造りも相まって、それこそストリップ劇場で踊り子さんの出番を待つような雰囲気が客席にあった。

と、まず登場したのは「飛龍」と書かれた袢纏を着たブラック師が高座に上がった。まずは今回師匠のCDを渡すことが出来なかったことのお詫びから。CD制作の仲介を頼んだ業者が制作費を持ち逃げしたという。くわしい事情はブラック師のブログにて↓

http://kairakuteiblack.blog19.fc2.com/

この件については師のブログを読んでいただければ、そのほかに何も付け加えることはないのだが、師のこれまでを考えても、何だか節目節目にトラブルを抱え込むのだなぁ、と思ってしまう。ちなみに今回貰えなかったCDは次回引換券でもって交換できると思う。

前説を終えた師が袖に出てきたのは、弟子のブラ之助さん。当然のことながら、この日の開演前も色々と走り回っていた。茶髪でツンツン立たせた頭と細身の身体は、師匠とは不釣り合いだけれど、噺のほうはみっちり仕込まれている。最初は上下が怪しかったが、だんだん進むうち旦那と内儀と権助がきっちりと描き分けられ、メリハリもきちっとしていて聴いていて小気味いい。他の団体のあまり上手くない二つ目さんよりは、ずっと飽きさせずに聴かせる。

ブラ之助さんが下がると、ブラック師が登場、星条旗カラーの着物と袴である。DVDで見たときはそうでもなかったけれど、実物を観ると流石に眩しいな。一席目は「羽団扇」。

元々は上方落語で、この噺の前半部分が独立して「天狗裁き」になったというそうだが、そのとおり独立した「天狗裁き」よりもかなりスケールが大きい。江戸の頃、正月に七福神の絵を買って枕の下に引いておくと縁起のいい初夢が観られたという。それをまさしくマクラに女房から「どんな夢を見たんだい?」と問い詰められると、いきなり鞍馬山の天狗に飛ばされて、そこで天狗に問い詰められてもまだシラを切っていると、こんどは七福神の乗った船に飛ばされるというもの。町から山へ、そして海へといかにもスケールが大きな噺。そもそもが古典なのでエッチ度は少なかったが、これだけの大ネタでもそれは一席目だったせいか。

二席目は問題の「一発のオマンコ」。もちろんかつて世間に流布した「一杯のかけそば」のパロディである。以前聴いた雲輔師のバレ噺の「にせ金」では、師が「キンタマ」を連発していたが、師には一切のイヤらしさがなかった。ではブラック師の場合はどうか。思うにソープランドといわれるものが、「トルコ風呂」といわれていたころの郷愁をブラック師にアレンジしたものだということ。言葉だけ聞けばクスクス笑いを催すかも知れないが、師の語り口と「トルコ風呂」と言われていたときのその懐かしさは、やっぱりそれを知る世代じゃないと分からない部分があるのじゃないかと思う。ちなみに「トルコ風呂」が「ソープランド」と改称したのは1984年で今から26年前。そのころのことを知っているかと訊かれれば、「ノーコメント」と言いたいが、ただ噺の雰囲気だけは十分に分かるとだけ、言っておこう。

仲入りでは、ブラ之助さんがCD制作費を持ち逃げされた師匠の生活費のために、CD、DVDを売っていた。そこにお客さんが群がる、群がる。これは明らかに普段の普通の落語会でCDやDVDを売っている様子とは違う。

仲入り後は、再び星条旗カラーの着物、袴で登場して「川柳の芝浜」。川柳川柳師を主人公にした芝浜のパロディだが、ギャグやクスグリに出てきた実在の噺家がわたし的にはズレていて、ちょっとピンと来なかった。「一発のオマンコ」と同様の繰り返しの面白さが笑いが呼ぶのは確かだが、どちらかというと「一発の~」のほうが面白かった。

続けてマクラを振らずに「文七元結」ならぬ「文七ぶっとい」。噺の冒頭から中盤、長兵衛が文七に五十両を投げ渡す場面までは、かなりの本格派。同年代といっていいかどうか、さん喬師(さん喬師のほうが2年入門が早い)のようなリアリティはあまり感じられないけれど、ブラック師の歌舞伎や古い日本映画の知識が背景にあるのか、いかにも日本人の琴線に触れる語り口は十分に聴かせる。ところがそれがガラッと変わるのは、文七がお店に帰ってから以降。何しろお店は、日本橋の鼈甲問屋ならぬ、女性用の張方(はりがた)を扱っている「四つ目屋」である。以降はいくら何でもここでは掛けないので、実際にブラック師の高座を観ていただくか、その決断がつかない方は、こっそりとDVD、CDで聴いて欲しいが、人情噺の名作といわれている「文七元結」が180度打って変わって大爆笑話にしてしまう師の藝人魂というか、潔さはやっぱり凄い。きっとブラック師がキッチリと古典落語としての「文七元結」を演じても、おそらくそれなりに聴かせるし面白いとは思う。けれど、やっぱり普通の人の、特に男の下世話な関心事を噺に盛り込んでしまうのが、ブラック師の一番の持ち味であり、確かに人によってはそんな噺は下品だ、といわれるかもしれないけれど、それは雲輔師もやるような、藝人にとっては愛すべき(かもしれない)ジャンルであり、それを常に持ちネタとして堂々とやるブラック師はやっぱり噺家としては、本流とは言えないかもしれないけれど、間違いなく噺家としては他の同年代の噺家と語られるべきだ。

今年からは、場所をお江戸日本橋亭に変えてやるという「ブラック毒演会」。木馬亭の持つ淫靡な雰囲気が薄らぐのは残念だけれど、様々な落語ファンは今度からは行きやすいところなので、聴きに行ってもいいと思う。

今年の総括2009

2009年12月29日

明日はブラックさんの毒演会、明後日、大晦日は一之輔さんの独演会があるが、もう今年のベストはわたしのこころのなかでは決まっている。

今年は色々なことがあって、落語をちゃんと落ち着いてみることが出来なかったし、しばらく落ち込んでいたこともあって、そんなこんなで、行った回数も減った。そのせいか、自分ではある噺家に偏らず幅広く聴きに行ったつもりが、そうとう偏ってしまった。なので、ことしはベスト10というより、わたくし的にこころに残った高座を上げてみたい。

■三遊亭萬窓「百年目」

(2月16日 第五回四人廻しの会@日暮里サニーホール)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090218/1234924613

■柳家喬太郎「古典七転八倒」

(3月6日 神楽坂劇場「志らく・喬太郎二人会」@東京・牛込箪笥町区民センター)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090307/1236387101

■五街道雲助「夜鷹そば屋」

(3月16日 3月中席夜の部@鈴本演芸場)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090317/1237246789

■林家染丸「浮かれの屑より」

(3月31日 第三回上方落語染丸の会@鈴本演芸場)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090401/1238548346

■柳家喬太郎 横浜開港百五十周年記念落語(仮)

(6月27日 横浜開港150周年記念独演会「喬太郎 創作落語」夜の部@横浜にぎわい座)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090628/1246174253

■五街道雲助「唐茄子屋政談」

(7月20日 「五街道雲助・桃月庵白酒親子会」@銀座山野楽器本店7階イベントスペース JamSpot)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090721/1248176691

■春風亭一朝「淀五郎」

(8月22日 三田落語会「一朝・市馬二人会」@東京・三田仏教伝道センター)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20090823/1250982585

■春風亭正太郎「幇間腹」

(11月21日 11月下席夜の部@鈴本演芸場)

http://d.hatena.ne.jp/inu_kaban/20091122/1258820901

よくいわれることかもしれないが、映画の世界では時代劇でも西部劇でも、その時代を表現するのに十分な役者がいなくなったという。具体的にいえば、サムライやガンマンの風情が似合う顔つきの、まるで100年前の写真から飛び出したような、映画の世界を再現することの出来る顔つきの役者がいなくなったということだ。

それがそのまま落語の世界に当てはまるかどうかはわからないけれど、ここに上げた萬窓、喬太郎、雲助、一朝、そしてここには上げなかったけれど扇遊の各師匠は、その点で落語の世界を再現するのに相応しい当代の藝人だと、わたしは思う。爆笑率という統計があるとすれば、今は圧倒的に柳家の全盛だし、柳家以外は古典落語という形式ばかりにしがみついて、今という時代についていっていない、と思っている向きもあるのは知ってはいるが、少なくも聴いている人間の肩を握って感情を揺さぶるようなやり方より、所作や語り口や状況説明だけでこころに染み入るような高座が、わたしは好む。

そんななかでは、やはり雲助さんが群を抜く。7月に聴いた「唐茄子屋政談」では、それまで雲助さんを否定的に考えていたマイミクさんの見方を180度変えた。聴く人の感情に直接訴えることは皆無だけれども、その台詞、その仕草は何より聴き手の想像力を鼓舞していく。時折、その高座にムラがあることがあるけれど、そんなことよりその高座を聴けば、すぐさま噺の世界が眼前に拡がっていくその藝を楽しみたい。

喬太郎さんは、すでに落語の亭号、流儀の枠を壊しているといっていいだろう。十八番の圓朝ものは8月の井心亭の「牡丹灯籠」で一段落ついたようだが、今後は圓朝と同時代に生きた近代柳家の祖ともいえる、初代談洲楼燕枝の古典をやりたいといっていた。そういった喬太郎さんの「古典落語ルーツ探し」にも興味はわくが、6月のにぎわい座で見せた、圓朝落語の骨組みと喬太郎新作落語の骨組みをしっかり組み合わせた創作落語は、落語という枠さえも越えて迫力と情念をもった一人芝居になっていた。

染丸さんの上方落語は、これも雲助さんや一朝さんと同じくしっかりとした藝の裏打ちがあっての爆笑噺を聴かせてもらった。まさか紙屑屋さんが座布団をすっとばして、動き回るとは思わなかったけれど。

最後の正太郎さん、二つ目昇進披露の一日目の高座。師匠と弟子の結びつき、あるいは一門の結びつきというのは疑似家族的といえるけれども、それを判らないと「噺家とはなんぞや」ということも判らない。それを改めて認識させる高座だった。

来年は今年より、すこしは落語を余裕を持って聴くことができる環境にはなるだろう。そうすれば、少なくとも高座の詳細をメモることでは感じることの出来ない、より深い噺家と客席の結びつきや雰囲気を感じていきたい。

柳家喬之進「文七元結」

2009年12月27日

12月26日 第十三回角庵寄席「柳家喬之進独演会」@東京・駒込 角庵

喬之進 そば清

喬之進 寿司屋水滸伝

~仲入り~

喬之進 文七元結

喬之進さんは、さん喬一門の五番弟子。入門10年目の二つ目さん。以前、喬太郎師の会だっだか、それまで噺としては埋もれていた「仏馬」を聴いたことがある。今回は定例の角庵寄席でもあり、昼間、師匠の高座を聴くこともあって、普段なら出来ないであろうさん喬→喬之進、師匠→弟子という豪華リレー?、落語会のハシゴになった。

初めてのアウェーの場所に上がるのせいか、一席目「そば清」の冒頭では客席の反応を探りながらの高座のように見えた。そうか師匠譲りの「どぅもう~」の清兵衛さんは師匠同様可笑しいが、町内のひとたちとそば清さんとのデフォルメの差がイマイチハッキリしない。

反対に二席目の喬太郎作「寿司屋水滸伝」。席亭さんからのリクエスト、喬之進さんも久しぶりやったそうだが、これは面白かった。あとで、出来が悪かったと言ってはいたが、喬之進さんの個性とピッタリあっているのだろう。古典落語のおかしなキャラ「そば清」さんはイマイチ堅くて弾けることがなかったが、喬太郎師の作った噺の馬鹿馬鹿しい漫画チックなストーリー展開にハマッた喬之進さんの描く各キャラは、こちらの噺の方が際だっていて、ひとりひとりのギャップがたまらなく可笑しい。

仲入りをはさんで、「文七元結」。最近、師走になると中堅の二つ目も自身の落語会でやるようになった。入船亭遊一さんも春風亭朝也さんも圓丈師に稽古をつけてもらって、師の「大晦日版文七元結」に挑戦している。もちろん喬之進さんは師匠に稽古をつけてもらっている。そのときのエピソードにも面白いものがあるのだが、それはその時の話としておこう。

さて、その「文七元結」。若さ溢れ勢いのある高座で聴いていくうちに、少々荒っぽいかも知れないけれど、グイグイ噺の世界に入っていくものだった。冒頭の賭場から戻ってくる長兵衛の登場から、ヤクザな雰囲気がプンプン。だらしない男と描かれることも多い長兵衛だが、うちへ帰ってきて女房おみつとの会話でも、凶暴な男っぽさが全面に出てるのがわたしの好きなところ。

いっぽう吾妻橋で長兵衛と文七が出会う場面。後半の近江屋と文七が長兵衛の長屋にやってくる場面以降、サゲまではアッサリやった分、ここはミッチリやっていた。長兵衛とは正反対の文七は、小心で軟弱、感極まって泣いてしまうような男だが、ここでも喬之進さんは、自分で出来うる限りの感情移入をして演じきった。五十両を掏摸に掏られたと自暴自棄になってしまうところ、自分の境遇に泣き入ってしまうところ、同様に五十両を文七にくれてやるか、やらまいか、苦悶する長兵衛もその仕草、財布を懐に入れたり、袖に入れ替えたり、考えあぐねる度に拳を握る姿は、演出過剰と言われるかも知れないけれど、これからの二つ目さんにとっては、今一番の方法だと思う。

喬之進さんを聴いていると、噺家さんの今を、その時しか聴けない高座を、若いがゆえに勢いで噺を客に聴かせる高座を聴く楽しみを感じる。彼と同世代のひとで、巧いひと、上手なひとはいるけど、そういうひとが今しか聴けない噺をするのか、といういえばそうではないだろう。喬之進さんは、今聴いても楽しいし、もちろんこれからの藝を観ていくのにも楽しみを感じさせる噺家だろう。

高座が終わった後は、はじめて角庵寄席の打ち上げにはじめて参加。喬之進さんとはもちろんのこと、この日客席にいたお客さん、マイミクさん、席亭さんとも楽しく喋って、呑み、食事をいただきました。終電が近くなりお名残惜しく帰りましたが、来年もこの角庵寄席を楽しみにしていきたいと思ってます。

五街道雲助「替り目」

2009年12月25日

12月23日 「雲助蔵出しふたたび」@浅草見番(浅草三業会館)

市也 「真田小僧」

小駒 「鷺とり」

雲助 「替り目」(鳴り物入り)

雲助 「姫かたり」

~仲入り~

雲助 「火事息子」

わたしが以前犬を飼っていたとき、ポコという名の彼女はサッシ窓から入ってくる師走のあたたかい日差しに包まれながら、身体を丸め、あるいはわたしを彼女の全信頼を預けるかのように、お腹をわたしに見せながら、昼間から眠っていることがあった。

天皇誕生日の今日もそんな暖かな日で、地下鉄の浅草駅から日の丸の小旗が連なり、賑やかに様々な国のひとがそぞろ歩く仲見世を通り、会場の浅草見番に行くまでは、明日明後日がクリスマスというより、もう正月が近いのだなあ、という気持を実感させる。

雲助師はそんな中でも、師走やお正月があまり来て欲しくないという。5年に1ぐらいでもいいと。何でも自分は南方系の人間で、のんびりしていたく、何事にも忙しく生きたくないからだそうだ。

そんな雲助師の高座、一席目は「替わり目」。

白酒師ではもちろん通しで聴いていたし、師匠の高座がどういう風になるのかが事前の興味だった。一番の見所は後半。そこは白酒師が「義太夫流し」を登場させたところだが、雲助師匠は兄妹の「新内流し」を鳴り物入りで登場させた。そして都々逸を謡い、立膝でかっぽれを踊る。ふつうなら、前半のおでんを買いに行った女房がそこにまだいたところで終わる噺で、酔っ払った亭主の滑稽さや、そんな亭主に尽くす女房の愛情が見どころとされるかもしれないけれど、そんなある意味しみじみした側面を、唄と踊りで吹き飛ばしてしまったと言ってもいいかもしれない。確かにマクラから前半にかけて、先代馬生師譲りの酔っぱらいの亭主はそれだけで普段の雲助師の印象を変えるに十分なほど大爆笑だったが、鳴り物入りの後半は、単に「替わり目」という本来の演題の意味を知らしめるだけではなく、この鳴り物と唄と踊りは、師匠自身にとってまさに「これをやりたくてこの噺をやる」といって相応しいものだったのだろう。

袖に下がらず、二席目は「姫かたり」。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%8A

地の話が長いのは、師にしては珍しい。元々の噺が一種の艶話だが、小咄の延長のようなものなので、ある意味落語を聴くというより、江戸の、この噺の舞台でもあり会場の近くでもある浅草寺の年の瀬、歳の市の風物・風俗が鮮やかに蘇るという意味では、こういう珍噺を聴けたのは貴重。

仲入りを挟んで、三席目は「火事息子」

ここでも、師の語り口は聴き手に噺の印象を鮮やかにさせる。冒頭の火事が神田の質屋、伊勢屋に迫る場面や、そこに伊勢屋の一人息子で火消人足、臥煙までに身を落とした藤三郎が、まるで猫が飛ぶようにやって来る場面は、まさにクールでカッコいい。また火事が収まり、火事見舞いの客でごった返していたとき、思わず勘当した藤三郎を思い出す場面の、父親の何とも言えない切ない表情、番頭に「赤の他人と思って会ってやって下さい」と言われて会ったにも関わらず怒りを爆発させる場面は、迫真に迫っていたといい。

不満があるとすれば、もともと冒頭の火事の場面で、番頭佐兵衛が質蔵に目塗りをするところなど、喜多八師の「火事息子」などと比べても笑いが多かったというが、後半母親が登場すると笑いの場面が目立って、それまでの父親と息子の再会の場の緊張感が薄れた感じがする。藤三郎も前半のクールさがどこかにいって、台詞も聴き取りにくくなるし、母親の大甘な言動だけが目立って、まるでこれでは藤三郎がマザコン息子に思えるほどだった。おそらく、これはわたしの座っていたのが会場の最後列で雲助師の呟くような台詞が聴こえなかったのが、そう思えたのかもしれない。せめて「夜鷹そば屋」ぐらいの抑えた親子のシミジミとした再会の場、というのがあっても良かったとも、思う。

このことは、わたしの雲助師による「火事息子」の期待が大きかったのが理由だろうし、もちろんそれは「夜鷹そば屋」という名作があるからで、いつもの師の情景描写が素晴らしかっただけに、ちょっとだけ惜しいと思うところではある。

桃月庵白酒「富久」

2009年12月19日

12月18日 第十四回桃月庵白酒独演会「白酒ひとり」@内幸町ホール

桃月庵白酒 時そば

桃月庵白酒 禁酒番屋

~仲入り~

桃月庵白酒 富久

まだ6時にはなっていないというのに、内幸町ホール前の通路に開場1時間まえからならんでいると、寒さでキシキシと痛くなってくる。そんな師走も半ばを過ぎて、やっぱり白酒師の噺を聴きに来るというのは、何かの縁というか、他のどの噺家さんよりも、今年聴いてきた高座の総決算には相応しい。

この日のネタ、「時そば」「禁酒番屋」「富久」。白酒師は「富久」のマクラでこの季節になると、モータウンのクリスマス・コンピレーションアルバムを聴ききたくなる、といった。それはこの日の開演前、仲入りの時の曲がたまたまマービン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」だったせいかもしれないが、この三つの噺は師匠にとっての、クリスマスならぬ、師走の噺、冬の噺のコンピレーションなのだろう。そして一席はネタ出しで高座を務めるこのひとり会、しかも今年最後のこの会で、「文七元結」でもなく「芝浜」でもなくあえて「富久」を、師のよく使う言葉でいえば、チョイスしたセンスはやっぱりいい。

「時そば」。もちろん白酒師では初めて。前半はあくまでオーソドックスな「時そば」だが、師のカラーが発揮するのは後半の、情けない蕎麦屋登場の場面から。騙そうとした男が逆に蕎麦屋に「一杯食わされる」という本来の「時そば」より、男と蕎麦屋の、ダメダメ男同士の会話が実にケッサク。またホールのマイクが、前半の温かい蕎麦を手繰る仕草、声色をリアルによく拾った。外で開場を待っていた時の骨まで凍みる寒さの感覚がまだ残る我が身には、笑いとともに心もホットさせる高座だった。

「禁酒番屋」は久しぶり。基本的には以前と変わらないけれど、はじめてあの「ドイツのショウコウ?」で笑う。師のこの高座の見どころは何といっても、番屋詰めの侍だ。マクラでション・ベルーシ出演の映画「アニマルハウス」を話題にしていたが、ここに出てくる侍はまさにそのベルーシが演じているようだ。(余談だが、ベルーシにはコメディ番組「サタデーナイトライブ」でおかしなサムライを演じる「サムライデリカエッセン」というギャグがある。)実際には姿も見せず台詞もない「御同役」と「門番」を、侍が代わってひとりで彼らを演じていくのは一人芝居ともいえる白酒師独特の演出なのだが、それがベルーシを彷彿とさせる。以前からそのことは感じていたのだが、今回はそれにさらに磨きがかかっていた。実際にギャグの度合いも師のやり方のほうがより笑いを呼ぶし、侍の酔っぱらいぶりもより強調される。そしてその侍の酔っぱらいぶり、酒屋が化けて番屋を通る度にヘロヘロになっていく様子に、白酒師の高座で何が一番可笑しいかといえば、やっぱり酔っぱらいの演技だと思った。

仲入りをはさんで「富久」。文字通り桃色の着物と珍しく袴で登場した師は、マクラは短めにこの師走の噺を始める。

基本的に先代馬生師の高座を踏襲した構成は、意外かもしれない。仲入り前の二席に比べれば、独特のクスグリも皆無だったし語り口は極めてオーソドックス。しかしこれが今年の白酒師の高座の特徴。かつて作家、小林信彦氏は志ん朝師が存命の頃、その古典落語が古典落語たる所以を以下のような趣旨で書いていたことがある。

「マクラであくまで今日的な話題を振っても、噺に入ればクスグリも含めて、一切の現代的な言葉を封印、聴くものを古典落語の世界に導いていく」

この小林氏の言っていることに照らし合わせることが出来るなら、今年の師の高座は、まさにこういうやり方で務めていた、ということが出来るとわたしは思う。特に今回のようなひとり会、師がいうに、自分の趣味が目一杯発揮出来るような会で、しかもネタ出ししているような演目、ここというところでやるその時一番やりたい演目の場合には、この小林氏のいうやり方でやっていたような気がしてならない。

そしてもともと地味な話の「富久」であるから、白酒師独特のギャグで大笑いしたかった聴き手には少々退屈な高座だったかも。しかし個人的には人情噺をあえて避けてきたようなふしのある白酒師が、こういうネタでその取っ掛かりを掴みつつある、と言えると思う。特に幇間の久蔵が、贔屓先の火事騒動で大騒動をする前半と、自分の長屋の火事で折角当たった富くじが焼けてしまって途方にくれる後半の変わり様は、やっぱり上に書いた一人芝居的なやり方と相まって、噺の中で十分なメリハリをつけて、白酒師的なクスグリが無くても十分に噺の世界に聴き手が入っていけることの証拠。なかでもサゲ間近、久蔵が鳶の頭に食って掛かる場面では笑いよりも、火事と富くじ、そして自分の酒によるシクジリで何もかも失いそうになった男の、怒りとも嘆きとも苛立ちとも言えない、思いがこちらに伝わってきた。

先日聴いた扇遊師の「富久」とは、もちろん微妙に違うのだが(たとえば扇遊師は、久蔵が火事騒ぎの中で箪笥を担ごうとする場面があるが、白酒師にはない。また扇遊師が火事見舞の受付する場面は白酒師より念入りだが、酒を呑む出す場面は白酒師よりあっさり)、あちらが如何にも「冬の噺」というのをメインに情景描写で描いていたのに対して、カッコよくいえば、運命に翻弄される幇間久蔵に焦点を当てて、その可笑しみのなかに師走の噺定番の「文七元結」や「芝浜」と同じようなカタルシスを聴くもの与えていたような印象を受けた。

来年、白酒師はどんな高座を魅せてくれるのだろうか。今回「時そば」も「禁酒番屋」も「富久」も、食べ物を食べ、酒を呑み、酔っぱらいが登場するという意味では、ネタが付く、ということなんだろうが、そんな高座の上のタブーも吹き飛ばしてしまうようなパワーが、この日の師にはあった。そして今年の「白酒ひとり」のどれもが三席づつだったにも関わらず、どの高座もそのパワーが落ないで水準以上であったことには驚かされる。そのことから、これからも白酒師がわたしが追っかけていく唯一の噺家であることは間違いない。

次回は新春1月13日、ネタ出しは「宿屋の富」。ちなみに1月3日の黒門亭新春特別興行第二部ではトリで「御慶」がネタだしされている。師走から新年に掛けての「くじネタ三連発」。これも見逃せない。

立川こしら「穴泥」

2009年12月12日

12月11日 こしらの集い@お江戸日本橋亭

立川こしら トーク

立川こしら「穴泥」

立川こしら「大工調べ」

JR神田駅から日本橋亭に向かう道は舗装が悪くて、雨が激しく降るとすぐに水たまりが浮かぶ。どちらかといえば日本橋亭の落語会に行く時は、足元が悪いことのほうが多くて、気温が温かければいいのだけれど、師走の冷たい雨のなかのあの距離にはちょっと難渋する。こしらさんの会にいったのは、マイミクさんが薦めていたので気になっていたから。「ヘタですよ、ヘタですけど、ハマったときは面白い」。マイミクさんのこの言葉に惹かれてこの日の落語会「こしらの集い」に行ってみただった。

一席目はマクラというか、トーク。師走とあって今年出来なかったことを語る。自分の周りで起こったことを話すのだけれど、こういうのって聴く人間と共感できれば笑いもおきるけれど、どうもわたしとは笑いの波長が合わなかったみたい。どちらかというと、着物を来て座って話すスタンダップコメディアンのようだ。そして客席は半分程度埋まっている。熱心なこしらさんのファンが、半分、初めて落語を聴きに来た人たちが、そのまた半分、残りが落語ファンだけれどこしらさんを聴くのは初めてだった人たちだろうか。

このトークを30分ほどやって、おもむろに「江戸っ子は五月の鯉の吹流し 口先ばかりでハラワタは無し」とひとこと言って、噺を始めた。どうやらこれは、こしらさんが噺を始めるときの決まり文句らしい。本人は「これしか知らないから」ということだそうだが、これがこしらさん自身にとって、コメディアンモードから、落語モードに切り替えるスイッチ、仮面ライダーの「ヘンシ~ン!」と同じようなものなんだろう。

そのせいか噺に入ると、ヌルかった風呂のお湯が徐々に温かくなるような気持ちが、自分のなかにおこってきた。それはわたしの中にあった立川流の若い二つ目さんのイメージとは、こしらさんの高座が違ったからだろう。いままで聴いたことのある立川流の二つ目さんは、早口でそれがわたしのリズムと合わなかったこともある。それと巧みに語ろうという気持ちが前に出すぎて、噺自体が空回りしてしまう人もいた。

けれどこしらさんは違った。確かに「古典落語をやる」という一般的な技術的な水準からすれば、聴く人によっては平均以下かもしれない。しかし聴く人を噺の世界に誘導するこしらさんなりの喋りは、マイミクさんの言うように「ハマったときは面白い」。例えば一席目。女房に追い出された亭主が「三両、三両」と呟きながら「穴泥」の冒頭から途中まで。亭主の独白で「死神」をやりそうに思わせて、そこに「ここにミカンがなっている、あ、向こうから番頭がやってくる、『千両』で売ってやろうか、いや、三両だけでイイんだよ」というなパロディクスグリを入れていく。こんな風に噺を進めていくセンスは、こしらさん独特のモノじゃないか。また後半、主人公が屋敷に入り込んで、赤ん坊とジャレる場面。特に亭主が赤ん坊に箸でものを食わせる仕草はかなり丁寧だった。決してワッといわせるようなギャグをかますわけではないけれど、仕草だけでクスクス笑わせるのは、まさにこしらさんのセンスそのものだろう。

一席目の「穴泥」をしっかりやったせいか、二席目の「大工調べ」が始まったのは午後8時半すぎ。日本橋亭の撤収時間が午後9時厳守ということで、ちょっと急ぎ気味のテンポでやったが、それでも大人びた与太郎のボケぶりと大家の厭味ったらしさ、前のめりで喋る棟梁のツッコミぶりには笑った。

会がハネてもまだ、雨は激しかった。この会に来て、初めはどうなることやらと思ったけれど、やっぱり来て良かったと思う。

入船亭扇遊「鼠穴」

2009年12月6日

わたしにとって、師走の噺といえば「芝浜」でもなく「文七元結」でもなく、もちろん市馬師の「掛け取り」でもなく、この扇遊師の「鼠穴」。

12月5日 三田落語会昼の部「一朝扇遊二人会」@東京・三田仏教伝道センター

辰じん 「手紙無筆」

扇遊  「五人廻し」

一朝  「七段目」

~仲入り~

一朝  「妾馬」

扇遊  「鼠穴」

この日のお二人の演目は、どれもそれだけでトリを取れるもの。扇遊師が「五人廻し」のマクラで「廻し」についての話をし始めたときには、流石に驚いた。一席目からこれだけの大ネタを披露するというのは、よっぽど気合が入っていたからなのか。そして一朝師も高座に上がると「いきなりあんな大きなネタをやられると次に何をやっていいか分からない」とやや困惑ぎみ。もっとも引き続き「今日はお囃子さんが入っているので、何か賑やかなモノをやりたいと思っています」と言ったので、鳴り物入りの大ネタを期待したら、そのとおり「七段目」をやってくれた。

気合が入っていたのはそれなりの理由がある、と思う。この日の一朝師は不祥事を起こした弟弟子の代演。扇遊師も長年一緒に落語会をやっている相方が起こしたことあって。両師匠ともそれぞれの高座の冒頭、客席に手をついて頭を下げた。「本人も十分に反省しておりますので、本人に成り代わりましてお詫び申し上げるともに、これからもよろしくお願いします。」

こんなことを先輩たちに言わせるなよ!と私はすこしばかりムカっときたが、そんな暗いというか、静かな雰囲気になってしまった会場をガラッと明るくしたのが、仲入り前の二席。

扇遊師の「五人廻し」、オカマの若旦那がサイコー!、ケッサク!扇遊師のオカマ役なんて想像できますか?これだけでもこの噺を聴く価値がある。文句なしに大爆笑。わたし自身こんなに笑ったのは久しぶり。それだけでなく、噺の他の場面でも、その面白さが絶えないのはもちろん確かな藝の裏打ちがあるからだ。例えば前半の振られ男が花魁を待つ場面、廻し部屋の廊下を花魁が、右へ左へとパタパタと通り過ぎる時の立体感、ステレオ感を実感させてくれる藝の細かさは絶品。また振られ男が吉原についての能書きを垂れる場面での立て板に水としか言いようの無い言い立て。廻し部屋で待つ客のキャラの際立たせ方。細かな藝も保ちつつ、これだけスピード感があって力でねじ伏せるような噺にはすぐさま降参、白旗を上げなければ。なお、廻し部屋で待つ五人は、職人→オカマの若旦那→軍人(官吏)→田舎大尽→相撲取り。サゲは相撲取りに「すでにまわしが取られてる」と妓夫太郎がいうモノ。

一朝師の「七段目」。この日はお囃子さんとして恩田えり師匠が入っていたので、鳴り物入りの賑やかな噺になった。弟子の一之輔さんも当然やっている。もちろん一之輔さんの今風のクスグリを入れた高座もいい。師も鳴り物が入ると「隣の恩田さんところで三味線のお稽古かい。あの師匠は偉いんだよ、何しろ日大法学部出だよ。」なんてクスグリを入れてけれど、基礎の部分でやっぱり師匠とは違う。悪い意味ではないけれど、一之輔さんの高座はどうしてもドリフのコントを思い浮べてしまう。それに対して師匠の高座は、例えば素人芝居であっても後半、若旦那と定吉が演じる「祇園一力の場」では、まるで劇中劇を観ているようだ。市馬師の高座のような華やかさは足りないかもしれないけれど、仕草の美しさでは一朝師の方が上回っているような気がする。

仲入り後も一朝師。賑やかな噺をやった後だがら、軽いネタでもやるかな、と思ったが、ところがどっこい「妾馬」をかけた。しかしあれほどの「七段目」を聴かされては、これほどの大ネタでもちょっと地味。そして口調も単調だったかも。盛り上がりに欠けていたような気もした。

トリは扇遊師。師がマクラで火事の話をすれば「鼠穴」とすぐわかる。去年の新宿年末余一会も「鼠穴」がネタ出しされていて、これをお目当てに聴きに行った。わたしにとって、師走の噺といえば「芝浜」でもなく「文七元結」でもなく、もちろん市馬師の「掛け取り」でもなく、この扇遊師の「鼠穴」。生でも音声、映像でも何度も聴いている噺なので、正直に言うと噺の前半は少々退屈だった。しかし目が覚めてきたのは後半になってから。竹次郎が十年かけて築きあげてきた身代、蔵が火事で焼けて落ちていく場面。まさに静から動の転換が素晴らしい。ダイナミックという言葉では表現しがたい迫力。その後、何もかも失った竹次郎の心のなかにフツフツと芽生えてくる人間不信の描写。扇遊師の静から動、そして動から静へと戻るの流れの中にすっぽりとハマって、もう客観的に竹次郎という人間を見ることが出来ず、すっかり感情移入してしまっている自分がいる。

「鼠穴」という噺、確かに話としては暗い話だ、夢として終わらせるにはあまり許すことのできる物語ではない、という人もいることだろう。けれど人生なんてこの噺の竹次郎のようなことが起こることも多々あること。実際、最近わたしの周囲でも状況は違うが、なんでこの人がこんなことにあうのだよ、と思うことがあった。現実世界では、年の暮れにどんな辛いことでも受け入れなければならないことがあるけれど、落語の世界、噺の世界ではせめて、辛いことは全て夢だったと笑い飛ばせるような高座を聴きたい、それがまさに扇遊師の「鼠穴」なのだ、このわたしにとっては。だから竹次郎に自分を重ねるせいでもあるのだけれど、「芝浜」の勝五郎や「文七元結」の長兵衛のような、家族や他人のために施しをして、それが結局巡り巡って自分に返ってくるという「情けは人の為ならず」という噺より、「鼠穴」のような現実世界は厳しくてこれからも辛いことが続くかもしれない、しかしそんなことも夢として少しは忘れさせてくれる噺のほうが、今の自分にはグッとくる。

だから、聴いたからといって決して明日、来年に向かって頑張ろう!という気持ちにはさせてくれる噺ではないかもしれないが、サゲの「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」という扇遊師の台詞を聴いて、ひとときだけホッとして安らぎを感じてしまったのでありました。

柳家さん喬「幾代餅」

2009年12月5日

大幅加筆しました。午前8時24分

12月4日 柳家さん喬「国際理解のための落語会」@お茶の水女子大学

落語の演じ方のデモンストレーション

開口一番 留学生達による小咄の発表

さん喬「そば清」

仙花 「太神楽」

左龍 「棒鱈」

~仲入り~

二楽 「紙切り」(桃太郎、羽根つき、クリスマスツリー、ドラえもん、サボテンの花)

さん喬「幾代餅」

さん喬師は、毎年七月にアメリカ・ヴァーモント州の大学で行っている日本語のワークショップで「落語・寄席芸能を通じた文化交流」を行っている。マクラで師は、当初そこで「落語を演じる、披露する」という気持ちがあったが、いまでは、そのワークショップで日本語を学ぶ学生に対して自身が「日本語の良き教材になる」という気持ちに変わってきたと言った。それは日本語を学ぶアメリカ人学生の真摯な気持ち、真っ直ぐな気持ちが伝わってきたから、というのがその理由だという。

今回の落語会は、ある種特殊な会で、日本語を学ぶ留学生による落語、というか小咄の発表会でもあり、同時に落語というものをあまり知らない留学生や、子供達も含めた一般の人々に寄席芸能の雰囲気を味わってもらうためのものであったが、終演時間八時を大幅にオーバーする大熱演だった。

冒頭、この落語会の主催者の1人であるお茶の水女子大学客員研究員である畑佐先生とさん喬師による、「落語の演じ方のデモンストレーション」。落語とはどういうものかを、先生の語るストーリーで、師が落語に登場する代表的な人物を演じていく、というもの。大工の棟梁、小僧さん、侍、番頭、大店の旦那、お内儀など。こう書いては大変失礼なんですが、畑佐先生、この方が大変面白キャラで、師匠との掛け合いに大爆笑。師匠の演じる台詞や仕草の玄人藝ともに、落語というものを初心者にも非常にわかりやすく紹介していた。

「開口一番」は留学生達による小咄の発表。可愛らしいのもそうでないのも?あったが、みなさん一生懸命落語に、日本語に取り組んでいるのがよくわかる。畑佐先生は、日本人も含めて外国語を学ぶ人たちを「言語弱者」と言っていたが、少なくとも今回小咄を披露した留学生の皆さんは、日本語という言語を学び、理解し、そして将来的には母国で紹介しようという、非常に勇気ある人たちだろう。

さてこれ以降は、玄人の藝人の登場。演目は事前にネタ出しとあらすじがプログラムに紹介。ネタはいずれも鉄板ネタで、それぞれミッチリと演じていた。さん喬師の「そば清」も左龍師の「棒鱈」も仕草が大きいネタなので、客席のウケもいい。外国人の嫌がる、そばの食うときの音はどうか、とちょっと心配が、清兵衛さんがそばを手繰る度、会場のあちこちで起こる笑い声に、それは無用なことだった。

仙花さんはピンで登場、普段寄席ではポーカーフェイスの彼女だが、つかみも十分、ギャグも十分。ピン藝の茶碗の傘廻しも無難にこなして何より。

この日、会場の子供達に一番受けていたのは二楽さんかもしれない。手始めの桃太郎、リクエストのお正月(はねつき)、クリスマスツリーと切っていき、そして最後、切ったものが何かを当てるクイズをやるころには、会場の子供達はパニックに陥っていた(笑)。そして最後、チューリップの「サボテンの花」をBGMに既に切ってある作品を映し出してある物語を紡いでいく。めったに寄席ではみることが出来ないものを観ることが出来た。

さてトリはさん喬師の「幾代餅」。冒頭のさん喬師の言葉、「日本語を学ぶ学生達の真っ直ぐな気持ちを知った」との言葉通り、典型的な古典落語、廊噺であるこの噺をを換骨奪胎しピュアで真っ直ぐなストーリーに甦らせた。

映画で言えば、固定され形式化された情景描写から登場人物の心情をくみ取るのではなく、ダイナミックにクローズアップされた彼らの表情に聴く者が感情移入していくその方法は、先日聴いた「芝濱」よりも自然で現実味があったからだと思う。

それはギャグも控えめで、古典落語としての廊噺の色合いも薄かったせいかもしれない。つまり清蔵の恋患いに驚く親方夫婦のやり取りや清蔵に吉原の礼儀を教える竹庵先生との問答は大胆にカットされていた。が、親方が貯めた金を渡さないと聞いた時の清蔵の怒りの場面や、初めてついた清蔵の嘘の告白に心打たれ「女房しておくれ」と手をつく場面に、単純なラブストーリー、純愛物語というよりふたりの純粋で真っ直ぐ気持ちを、この高座では実に巧みに表現していたのではないだろうか。

またそれはリリカルなソロで始まったピアノ協奏曲が感動的なオーケストレーションの最終章を迎えたようにも感じたし、実際会場にいた落語というものを初めて観る人たちの涙腺を緩ませたようでもあった。まさに「泣きのリアリスト」さん喬師の面目躍如、その特徴を十二分に味わうことの出来た高座だった。

会がハネたのは午後九時過ぎ。最後に高座を降りたさん喬師とともに、小咄を披露した留学生たちが舞台に上がってお開き。今日は素人の留学生たちは一生懸命日本語に挑戦し、玄人の師匠達はその藝をもってそれに真摯に答えるという、普段の落語会では味わうことの出来ない、清々しい気持ちで会場を後にした。