久しぶりの通勤電車。しかも都内まで出るのは、何十年ぶりである。
でも昔に比べると、すくなくとも中央線は混み具合がよくなったと感じた。昔はホント国分寺あたりからメチャクチャな混みかただったもの。わたしの場合、始発の駅から乗って座っていくことが出来るので混雑に煩わされることはないのだけれど、それでも自分の前に立っている人に圧迫されるような感じがして、決して居心地のいいところではない。それにみんな静かだ。誰もが、新聞を読んだり携帯を見たり、あるいはぐっすり眠ったり。自分がいつも乗っている時間は、高校生がお喋りしたり子供たちが騒いだりというような時間なので、それと比べるとあんまり静かすぎて、薄気味悪くなるぐらい。
職業訓練校の入校受付に行く。そこで初めて半年間、訓練を受けるほぼ30人の顔ぶれを見る。やっぱり自分が一番年下らしい。指導員の人からは、これから半年間ちゃんと目標を持って訓練を受けて欲しいこと、また訓練校は就職するための訓練を行うためところだから、個人の我が儘はきかないということを肝に銘じて欲しいということを念を押される。そうしないと、半年後に結果として、就職できるかできないか、如実に表れるとのこと。確かに中には、単に雇用保険の延長だけを目的に職業訓練校を受けようとする人間もいるらしい。そういう人にかぎって訓練についていけず、途中で脱落することも多いという。確かに税金を使って授業料はおろか、交通費やその他諸々の手当が出るのだから、しっかりやっていかなければと思う。それに今回のように高い倍率で、訓練校に入りたくても入れない人たちがほとんどだったのだから、その人たちのためにもちゃんとやらなければいけない。
受付が午前10時から始まって、約30分で終わったので暇を持てあます。このまま帰ってもよかったのだけれど、折角なので新宿まで出てプラプラすることにする。
西口に出て、前から興味のあったキングジムの「ポメラ」を見て歩く。「ポメラ」は大きさ、ほぼDSを一回り大きくした感じ。ふたを開けて折りたたみのキーボードを広げて、電源を入れると2秒で立ち上がる。通信機能はないけれどSDでバックアップできるし、USBでPCやMacとも繋がる。「デジタルメモ帳」と銘打たれてるけれど、まさにその通りでわたしのようにもう紙に手書きで何かを書くということが出来なくなった人間には重宝する。ディスプレーはふた昔前のワープロ機を思い出させるが、もともとこれは「メモ帳」なのだからそれで構わない。何よりすぐに立ち上がって、さくさく文章が打てるのがいい。わたしは高座を聴いたときの感想でも、その他のものでも極力時間をおかずにブログにアップするということを大切にしている。それは時間が経って記憶が薄れてしまうというのが防ぐためというのもあるけれど、一番の目的は、寄席や落語会の感想だったら、時間が経つことでその場の臨場感とか雰囲気とかが失われることをイヤだということもある。これがあれば、落語会をハシゴするちょっとしたあいだでも、帰りの電車の中でも印象を忘れないうちにササっと書くことが出来る。このところが、一番気に入っているところ。先月、乗り換えたプロバイダーから来月キャッシュバックのクーポンが送られてくるので、それを使って買おうかな。
松屋で昼飯を食べて、新宿通り沿いにある「新宿ピカデリー」に行く。
去年出来た比較的新しいシネコンだが、ここは会員になると、といっても、煩わしい個人情報の記入といったことはなくただカードをもらうだけなのだが、6回の有料鑑賞で1回タダ、そして何よりもいいのは、平日の興行ならばスクリーンから一番近い、一番前の席つまりA列の席だと1000円で封切り映画を観ることが出来る。そしてこの1000円割引き鑑賞も有料鑑賞としてカウントされるのだ。そのことを以前から知っていて、いつ行こうかなと思っていたのだけれど、今日は午後が丸々空いていたし、ちょうどういい、久しぶりに新作を観ることにした。どれを観ようか、ちょっと悩んだが以前のシリーズも観たことがある「ターミネーター4」を観た。
原題はTerminator Salvation。訳せば「ターミネーター 救世主」といったところ。前3部作で断片的に語られていた核戦争後の人類と高機能コンピュータネットワーク、スカイネットが率いる機械軍との全面戦争を描いている。そして人類の救世主となるジョン・コナーが以下にして救世主となっていくのかという、新三部作の第一弾、いわば「ジョン・コナー・ビギンズ」といっていい。
それにしても、映画の続編というか、シリーズものに数字をつけるようになったのはいつ頃からだろうか。わたしが覚えている限りでは、「ジョーズ2」(1978)ぐらいからじゃないか。それ以前は例えばターミネーターのようなSF映画でも「猿の惑星」(1968)などでは「続・猿の惑星」(1970)「新・猿の惑星」(1971)「猿の惑星・征服」(1972)「最後の猿の惑星」(1973)となっていた。映画じゃないけれど、團伊玖磨のエッセイ「パイプのけむり」は続き物でも「続々」とか「さてさて」とか「なおかつ」とかで全27作続けていた。単に数字をカウントしていくだけじゃ、面白くないと思うのだけれど。もっともこれからターミネーターシリーズが続いたとして、「さてさてターミネーター」とか「これまたターミネーター」というのは、間が抜けていて、これじゃドリフのコントになってしまう。
閑話休題。
肝心の映画の方はどうだったかというと、SF映画にありがちな現代批判のようなニュアンスを巧みに織り込んでいるのがユニーク。核戦争後の世界ということで砂漠が舞台というのはわかるけれども、どうもイラク戦争を思い出さざるを得ない。例えば僅かに残った人類が機械軍側に捕まって収容所のようなところに連れて行かれる場面があるのだけれど、そこに出てくる人たちが皆英語が喋れなかったりするのだが、そういうところは、不法に拘束されたイラク人たちをイメージさせる。スカイネット=機械軍=アメリカ、抵抗軍=イラクの抵抗勢力といったところなのか。また戦闘場面でコッポラの「地獄の黙示録」のオマージュと思える場面が幾つもあって、それも微妙にイラク戦争に繋がるところがあるように思える。あとはシェリー作「フランケンシュタイン」での父親探しのモチーフも入れていたような気がする。ジョン・コナーが自分の父親となるカイルを救いにいくためにスカイネット研究所に侵入するエピソード、謎の男マーカスが「こんな体にしたヤツを捜し出す」と叫んで同じようにスカイネット研究所に乗り込むエピソードなど、ある意味、どうして自分がここにいて、これから何処に行くのだという疑問を解くことがこの映画のモチーフのひとつになっているように感じた。
俳優ではクリスチャン・ベールがいい。母親サラ・コナーのテープに聴き入る姿は、好演した「バットマン」シリーズでのブルース・ウェインと共通するトラウマを持った人間としてジョン・コナーを演じている。逆にサム・ワーシントンはイマイチか。元死刑囚としてのワルさ加減が初めからあまり出ていない。元々が凶暴で次第に人間性を取り戻していくという形にしてもよかったかもしれない。懐かしいのは、ロボコップの悪役で出演していたマイケル・アイアンサイドが出ていること。そしてティム・バートンのパートナーでもあるヘレナ・ボナム=カーターも出演している。またジョンの妻、ケイトを演じるブライス・ダラス・ハワードは「天使と悪魔」の監督、というか、わたしの世代にとっては「アメリカングラフィティ」のスティーブ役のロン・ハワードの娘である。
映像的には冒頭の戦闘場面に迫力がある。特に抵抗軍の兵士のひとりの眼となって動き回るカメラワークは新鮮。ただし途中、コナーとマーカスとの絡みが少ないせいもあってストーリーが緩慢になり中だるみに陥るところがある。後半になって前3部作でもお馴染みのターミネーター同士の戦いということになるのが、これは前作を見ている人間からすれば「また同じことをやっている」ということを感じるかも。せっかくの冒頭で用いられたカメラワークも使われず凡庸。そしてラストの次作につながるオチも、第一作で見ることの出来た、不安で不毛な未来を感じさせるものではあまりなくタイトルクレジット前のエピソードと巧く繋がったという大団円的なもので、「あー、こんなものかな」という感じ。またあきらかなスピルバーグの「トランスフォーマー」や「宇宙戦争」、ベールが主演した「ダークナイト」などのあからさまなパロディがあって、「そこまでやるか」ということも感じた。
言ってしまえば、何を観ようかと悩んだあげくこの映画を観てしまうと、アクションシーンはそれなりに迫力があって楽しめるが、過去のシリーズとの絡みや引用が判らず(ベールが”I’ll be back”と言ったのには笑った。)少しばかりストーリーについて行けなくなることがあるかもしれない。もちろん前3作をミッチリ観ているような「ターミネーター」ヲタには十二分楽しめる作品だろう
4時半には映画館を出る。まっすぐ帰ろうと駅に向かうが、中央線乗り継ぎの連絡が悪くて構内のベッカーズでひと休み。来週からはいよいよ通学だ。
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