五街道雲助「電話の遊び」

3月20日 「雲助蔵出しふたたび」@浅草見番

春風亭朝呂久 一目上がり

柳亭市江   権助魚

五街道雲助  三軒長屋

~仲入り~

五街道雲助  電話の遊び

「三軒長屋」という噺、題はよく聞くし有名だけれど、噺そのものはそれほどやられる噺じゃない。理由は長い、登場人物が多い、サゲが割れている(バレている)からだとか。確かに、並の噺家さんがやろうとすれば、途中でダレて面白くもなんともない高座になってしまうのだろうが、そこは雲助師の描写力、およそ7人にもおよぶ登場人物ひとりひとりを巧みに描き分け、交通整理して、物語を立体的に見せている。

師が描き出す三軒長屋。高座の上に実物大のセットがあるのではないかと、錯覚してしまったのだ。もちろんよく噺のなかに登場する八っつぁん、熊さんが住んでる裏長屋じゃない。横丁、新路、小路と呼ばれる表通りにあったと思われる二階もあるましなもの。そこで雲助師の語る登場人物それぞれが、右往左往をする姿が手に通るように分かる。例えば、鳶の若い衆が頭の家にやってくる、二階へ上がって一杯やりだす。隣の妾宅から醜女の下女が出てきて、二階から若い衆が彼女を誂う。泣いて帰ってきた彼女をお妾は旦那ともに慰める。すると隣の道場ではヤットウの稽古が始まりドタバタし始めると、今度は鳶の頭の二階でも喧嘩が始まる・・・。

こんな風に一つ一つの逸話が順繰りに繋がりながら、高座の上の見えないセットの中で展開される。話が進むうち視線は自然とそれぞれの家、部屋の方向に向き出し、どんな些細な台詞のひとことからでも、それぞれの場面の印象が頭のなかに広がってくる。例えば鳶頭の政五郎と道場主、楠運平がヒソヒソ話をする場面で、追い出された楠の門弟たちが井戸端でボゥーっと立っているところなんて、ほんの数秒の地の台詞でしかないけれど、ちょっとマヌケな連中が物語から取り残された風のギャグで、ピンポイントで笑わせてくれる。もともと雲助師の語り口には、どんな些少な言葉、固有名詞を言っても、そこから聴き手に与える印象は非常に奥深い。「造作の悪い太った下女」というそれだけで、キャラの想像が聴き手の方にすぐに出来上がる。だからこそ、この噺では、鳶頭の内儀さんと伊勢屋のお妾さんのくっきりとした女としての性格の描き分けは秀逸。いかにも鳶の女房らしく、勝気でちょっと悋気強い内儀さんの伝法言葉と、いかにも隠居のお妾さんらしく、お淑やかさを振りまきつつ甘えた言葉の違いには、思わず白旗を揚げてしまった。

確かに一つ一つの逸話は面白いけれど、それらを単に繋げただけ、というこの「三軒長屋」に対する言葉も、あながち間違いではないと思う。だだ、それらの逸話の繋ぎ方、決して当代若手の噺家がやるスピード感は無かったかもしれないけれど(その意味で言えば、この噺を白酒師で是非聴きたい)、まるで昔のドタバタコメディー映画を見ていると錯覚させるような、噺全体の編集、構成、語り口は、如何にも芝居噺が得意な雲助師ならでは、と感じた。

ふたたび着流しで登場した雲助師。仲入り後の噺に選んだのは、ネタ出しされていなかった「電話の遊び」。もともと上方落語の「電話の散財」というのがあった。「動物園」「指南書」で有名な二代目桂文之助(1859-1930)のクラシック新作。それを二代目林家染丸(1867-1957)が改作し、当時の人気噺にした。いまではその二代目の系統である四代目染丸一門が高座で掛けているとのこと。雲助師が残している音源のマクラによると、東京では五代目の圓生(1884ー1940:六代目の義理の父親)がやっていたという。どういういきさつで、この噺をやるようになったかは、分からないが、五代目圓生は若い頃、力士として相撲巡業に行ったり、旅芸人の一座に加わったりしていたので、その時に覚えてきた話なのかも知れない。

世の中に、電話や自動車が登場し始めた頃。区会議員に立候補した若旦那、歳の癖に茶屋遊びが止められない父親に、世間体が悪いからせめて選挙期間中は、遊びを止めてくれるよう頼む。渋々受け入れる父親だが、それでも何とか茶屋に行きたい父親に、番頭は茶屋に電話を掛けて、電話口で贔屓の芸者に唄を謡わせることで我慢させようとするが・・・。

面白いのは、落語の常道からいうと、遊び好きの息子に堅物の父親、というのが定番だが、それが逆転している。気取った言葉で、若旦那がキザに眼鏡をスッと直す仕草など、妙に可笑しい。そして上方落語らしく、鳴り物入りで父親が踊りまくる場面は派手で賑やかな。途中、その時代の電話が混線しやすかったことがギャグになっていて、その混線を元に戻す合言葉ともいうべき「話し中」というひとことが鳴り物と掛け合いになり、リズミカルな噺のなかに一瞬ストップモーションになったかと、錯覚させるほどだった。サゲもこの言葉を使った突飛なオチかただが、それまたユニーク。

トリビアだが、途中、父親が番頭に「お前は緊縮派だからなぁ、私は政友会、もちろん『盛んに遊ぶ』会だけれどもな」という台詞があるが、これから考えると、噺の舞台は、財政緊縮の民政党と積極財政の政友会の対立が激しかった昭和初期のころの話だと推測される。また父親の名前、苗字が「村田」というのは五代目圓生の本名、村田源治から来ている。

いつもは三席やる「蔵出しふたたび」だったけれど、今回は大ネタと珍品の二席。もし噺の格というものがあれば、もちろん「三軒長屋」なんだろうけれど、甲乙つけるのは忍び難いが、今回は賑やかで楽しい「電話の遊び」にしたい。

10:48 追記:聴いた話によると、この日プログラムにはない三席目が予定されていたそうだが、「電話の遊び」の最中になった二度の携帯の着信音(しかも同じ人物)で気持がキレて、止めたという。この日は「三軒長屋」のときも別人物の携帯が鳴り、仲入りの時に、朝呂久さんが「シャレにならない」から、散々注意した挙句の話である。

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