「吉原」を読む。
言うまでもなく、吉原は落語の重要な舞台のひとつ。けれども、それは志ん朝師のCDにおける但し書き、「このCDに含まれている内容は伝統芸能の~」云々ということでもわかるように、あくまでも一種のパラレルワールド、夢舞台のなかの出来事であって、実際はどうだったのか、と考えると、わからないことも多い。落語ブームということで、「吉原遊郭」が単独で取り上げられた本や雑誌も、多いけれど、それらのいずれもが、よくある吉原の華やかな面を強調していて、イマイチ、わたしの望みを叶えてはいなかった。
以下の二冊は、五社英雄監督の映画「吉原炎上」(1987)の原作とされているが、五社の映像がもつ、「鬼龍院花子の生涯」の印象そのままの煽情的でスキャンダラスな面は影を潜めている。読み進めていくうち、これには正直、驚いた。
斎藤真一(1922ー1994)著「吉原炎上」(文春文庫 絶版)は映画の公式原作本のうちの一冊(もう一冊は彼の画集である「明治吉原細見記」)。ものがたりは、作者の祖母である没落士族の娘、久野が、故郷岡山から花魁として吉原に入って、お職(花魁のトップ)まで上り詰め、身請けをされて結婚、故郷に帰るまでを描いた、日本画家として著名だった斉藤の画もふんだんに含んだ画文集。斉藤自身の文章は、久野の生涯を実母からの聞き書きで、あくまでドキュメンタリー風に書かれている。タイトルとは裏腹で、映画化されたものとは正反対で、荒々しさや際どい場面はすっかり影を潜めている。そのなかには久野も含め、周囲の苦海に沈む花魁たちの悲しみがリアルに描かれているけれど、一方で幻想的な斉藤の筆使いはそれらを柔らかなオブラートでつつみながら、祖母である久野を含めた、花魁たちへの作者の視線は限りなく、優しい。
もう一冊は、近藤富枝(1922ー )著「今は幻 吉原のものがたり」(講談社文庫 絶版)。こちらは原作本ではないけれど、近藤が監修者として五社の「吉原炎上」に参加していることから、この本に含まれている逸話が映画に採用されている。近藤は、明治の中頃に角海老楼に下働きの女中、下新として働いた娘、小島ふよの話を昭和58年に聞き書きしたもの。
興味深いのは、明治のころの一般庶民が、今のいう「セレブ」を見るような気持で吉原の花魁たちを見ていたこと。貧しい裏長屋の小さな女の子たちも「花魁のようにきれいになりたい」というし、女中になった「おふよ」でさえ「もうすこし器量がよくて、田舎まるだしでなかったら、花魁になりたかった」と語っている。明治時代の極貧の女性たちが憧れるのは、表面的ではあっても、豪華であでやかな花魁の生活だっただろう。もっとも、これは当時の封建的な家制度のなかでの、夫や姑からは「性生活付きの女中」扱いされた彼女たちの密かな願いだったのかもしれない。
もちろん江戸から明治に時代が変わるなかでの、吉原の変容も描かれている。明治維新後、急激な西洋化で、楼閣も三階、四階建ての西洋風建築になった。顔見世も絵から写真へ、おふよが働いた角海老楼には時計台があったり、洋装をした花魁も登場したという。反対に「おいらん言葉」が廃れたり、牛太郎による客引きが、小店、中店はかりではなく、大店に波及した。映画「吉原炎上」の背景である、明治44年の大火を初めとする災害が、吉原の変質に拍車をかける。吉原外の私娼街との対立や、これも映画に登場するけれど、廃娼運動が一層激しくなる。結局、大正12年の関東大震災を境に、江戸の味わいを残す吉原は完全に亡くなった、と近藤は書く。
また本の後半、志賀直哉、高村光太郎、里見紝らの吉原体験も書かれている。彼らは当時の裕福層の息子たち、落語の噺でいくところの「若旦那」なのだが、少なくとも花魁からみれば、若旦那との付き合いは、当たり前のことかもしれないが、あくまでもビジネスであり「ラブゲーム」であったこと。花魁たちをマドンナとして見ていた若き文化人の、それを知った時の落胆は生活を荒れさせもした。なかでも彼らのひとりが、自分が恋焦がれた花魁が年季を終えて、吉原の外であったとき、あまりに容姿が平凡な女性で、やっぱり吉原のことは夢であったと悟る場面は印象深い。
逆に、吉原での心中事件もかなりあったことを記している。両者合意の上での心中、いわゆる情死もあるが、一方が想いを募らせた無理心中も多かった。男が原因の場合は、たいてい職人か小商人。想いが募って花魁に入れ込むあまり、多大な借金や店の金を使い込んでの上の刃傷沙汰である。すくなくとも「幾代餅」や「紺屋高尾」のような噺は、現実とはかけ離れた、それだからこそ当時の男たちにとっては、まさしく夢物語であったことだろう。反対に花魁が引き起こすのは「美人ではない、お客が少ない、借金がある、新造に馬鹿にされる、遣手に怒られる、内証の機嫌を損ねる」花魁、そして彼女は生きていても仕方がない、と考える。しかし独りでは死ねないので、誰かを引き込んで・・・・の挙句。まるで「品川心中」の世界だ。
両方とも資料性も十分にあるが、「吉原」という場所の、いままでとは別のイメージを湧かせるには、いい本だと思う。
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